梅津勘兵衛「あなたは正しからざる方法によって生計を営んでおられる」

 『茨と虹と 市村清の生涯』(尾崎芳雄、実業之日本社、昭和44年)は、三愛創立者、市村からの聞き取りをもとした伝記。三愛とは「国を愛し、人を愛し、勤めを愛する」こと。升田幸三中村メイコが推薦の言葉を寄せてゐる。巻頭では銀座三愛の発足披露で高松宮三笠宮閑院宮各殿下らと写真に収まってゐる。
 女癖が悪くて荒木貞夫に呼び出されたりしてゐるが、波乱万丈の人生なのでこれくらゐは霞むやうだ。
 第六章「戦時下の活動」に、奇妙なクレーマーとの対決が描かれてゐる。昭和15年、市村の会社ではカメラを扱ってゐたが、ある男が其の一部が錆びてゐると難癖を付けたり、新製品の発売が延期になったことに強請をかけてきた。脅迫状に朱で「詐欺被告人」と書いて恐喝をしてきた。
 その竹田津可六といふ男は堕胎剤を売り歩き、何かと因縁を付けてゐた。もう一つの奇癖は直訴で、皇族の鹵簿に直訴を企てた。市村の会社と関係ある伏見宮にも脅迫状を送るに及んで、市村も解決策を考へねばならなかった。「世の中の毒虫は退治しなくてはなりません」。
 仲介に頼んだのが国粋会の梅津勘兵衛で、梅津の呼びかけで手打ち式が行はれた。場所は上野・池之端の翠松園といふ中華料理屋であった。
 梅津の口上は一読の価値がある。

「本日は、理研の市村社長のご依頼によって、竹田津先生のお越しを願ったのであるが、聞くところによると、あなたは正しからざる方法によって生計を営んでおられる。理研光学の写真機の問題も一係員の検査上のミスにすぎない。それをここまで事を荒立てるというのは、仲介に立った梅津が聞き捨てるわけにいかぬ。あなたはこの場で市村先生に詫びを入れ、直ちに生家の大分に帰ってもらいたい。そして今後二年間は東京に帰らぬと誓ってもらいたい。但しその費用として市村先生からあなたに二千円、身内の解散費として二千円、合わせて四千円を即時渡してもらう。私は市村先生に対して一切を引き受けたのであるから、この条件が一つでも聞かれなければ、今後はこの梅津勘兵衛が相手になる。場合によっては、この場であなたの一命をいただくことになるかもしれぬ」
 梅津の口上が終わると、空気が一度に凝結したような沈黙があたりを包んだ。しばらくして「承知しました」という竹田津の低いさびた声が聞こえた。

 竹田津の名は警察や検察の間にも広まってゐて、「悪質な社会悪」「ゆすりたかりの常習犯」「直訴狂」「偏執狂」「殺人狂」「稀代の変質狂」と形容されてゐる。

 「正しからざる方法によって〜」といふの、いつかつかってみたい。