松山天爵子「日曜休暇廃すべし」

 『陶化新誌』は神宮教の鶴岡教区の機関誌。明治24年7月発行の第三号に松山天爵子こと、編集人の松山真中が「日曜休暇廃すべし」を載せてゐる。
 耶蘇の真似をして日曜を休むのはけしからぬといふ論だ。
 官公庁が日曜に休むやうになったのは、明治9年3月の太政官達で、それまで一と六の付く日が休みだったが、4月からは日曜を休暇日にすると決めた。土曜半ドンもこのときからだ。
 しかし松山は、日曜に皆が休むのは事務が滞り、弊害ばかりだといふ。「諂諛、讒誣、嫉妬、猜疑等の腐虫毒獣は皆な是より産すべく生すべく」、現に樵が子供に学費を送らうと銀行に行ったが、日曜だったので追返されてしまったといふ。
 現代人からすれば、日曜以外に行けばいいのではないかと思ふが。

 そもそも仕事の時間は少ないので、日曜休暇が必要なほど疲れる筈がないといふ。 

 職務の時間多くは七時少きは四時而て其喫飲吹煙の時あり之れを除かは即ち如何ん神を労する此の少時間を以てするも猶ほ一周一日の休暇は無きこと能はさる乎

 労働時間は4時間から7時間で休憩時間もあるから、一週間に一日の休みが必要あるだらうかといふ。明治半ばはそんな労働時間だったのであらうか。

之れを要するに日本国民は素とより正さに七日を祝して是日に安息すべき先天よりの義務を担ふて生まれたるに非らず又た勿論、官府の制に擬して其の一般も亦た悉とく一周一日の休暇を為すべしとの法文も有るまじ

 日本人だから聖書の記述通りに七日目ごとに休む義務はないし、例え役所が日曜休みになっても、民間も休まねばらぬ必要はないといふ。松山は、日曜を休むことが義務だと捉へてゐる。「当年の佐田介石師ならずと雖とも又た為めに日曜亡国論を唱道せさるを得ず」「一周一日の休暇を為さざるも人生に害なく却つて天下に弊あるを知らば今まに於て断然日曜休暇廃すべきなり」。 
 耶蘇嫌ひが嵩じてかう思ったのだらうか。
 それにしても、4時間労働で毎日働くのがいいか、それとも今のように、一日にもっと働いて日曜にまとめて休むのがいいのか。そもそも一と六の日に休むのはどんな塩梅なのか。
 単純に今と比較はできない筈だが、やはり日曜廃止を想像するだに恐ろしい気がしてしまふ。