明治神宮参拝拒否報道で中国に渡った小坂徳三郎

 『わたしの二十歳』は扇谷正造編、旺文社新書、昭和43年1月初版、48年12月重版。42人の執筆者が二十歳の頃の出来事を語る。本や読書にまつはる話も多い。

 坂西志保は学校を追放され、図書館で手あたり次第に読んでゐた。エジソンの伝記で、エジソンが図書館通ひをするうち、科学に打ちこまうと目標を定めたことを知る。坂西も乱読は時間の浪費だと思ひ至り、英語の勉強に専心するやうになったといふ。坂西はのちの合衆国議会図書館日本部長。

 マルマン社長の片山豊は明治大学在学中、寸暇を惜しんで勉強した。プロフィール欄にも「トイレの中に本をつるして読書した話は有名」とあるほどの努力家。

さらに家を出るとき、電車の中で読む本の、そのページのところに指をはさみ、いったん電車に乗れば、たとえ、満員電車の中でも、すぐ片手で開いて読めるようにくふうもした。 

 かうすればすぐに読書ができるのだといふ。もう片方の手で定期を見せて改札を通ったのだらうか。ほかの時短術も面白い。

 小坂徳三郎の題名は「警察に追われて中国へ」。肩書は信越化学社長となってゐるが、元朝日新聞記者でサンケイ新聞信越放送の取締役でもある。「現在参議院議員」とあるが衆議院議員ではなからうか。

 警察に追はれるやうになった理由は、明治神宮参拝問題。東大経済学部の学生だった小坂は、配属将校からの東大全学生の明治神宮参拝要請を拒否。経済学部は自由意志による参加を決定した。

大成功だと一人で満足したが、やはり世間は甘くなかった。各新聞は翌朝の紙面で大々的に「東大生、明治神宮参拝を拒否」と報道した。東大生は反軍的だということになった。

警察に追はれて中国に渡った小坂。そこでは出会ひもあった。

じつに不思議な日本人が、北支那のあらゆるところにたくさんいた。支那浪人というのであろうか、思想も左翼から極右まで、じつに多種多様な日本人であった。

  二十歳のころは、一足す一はなぜニになるのかと考へてゐたといふ。「どうして世界中の人がニという答えを信じるのか」「正直に言うと、今もなお考えている」。

 

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