徳富蘇峰「どうかきょう死にたい」

 『ニッポン女傑伝』(秋吉茂著、謙光社、昭和44年)は、有名無名取り交ぜた51人の女傑のインタビュー集。数が多いので人物スケッチで終わってしまってゐるのが惜しい。
 読んでみると、もうこの頃の話も歴史の範疇になりつつある。

 痛快なのは谷田春江。名古屋のタクシー運転手だ。川島芳子にあこがれて、四日市の海軍燃料廠軍属としてトラックを走らせてゐたが、終戦でタクシーの運転手。政治家になったら赤線復活を唱へたいといふ。 

 どんなに立派なお屋敷だってトイレがいるでしょ? 人間社会にも、それがいるんですよ。理屈やありません。必要悪いうのかな。(中略)実情は、わたしたち、運転手がいちばん知ってますよ。

 一度だけ誘惑された。

ある夜、座席からとつぜん札束でわたしの首筋をたたいて、『オレの二号になれ』ですって。それで、わたしは、『満州馬賊頭目になるつもりですが……』と答えると、おどろいて飛降りて行きました。

 顔見知りの三国人はそれっきり現れなくなった。

 
 小杉あさは盲目のマッサージ師。自宅の額には「右翼学者平泉澄」の書がかかる。徳富蘇峰の晩年の九年間、邸宅に通って最期を看取った。蘇峰会の有力会員で、命日には墓前祭もする。
 蘇峰は昭和32年11月2日に亡くなった。 

 「翌三日が明治節でしょう。先生は明治節の佳節にはおそれ多い。どうかきょう死にたいとおっしゃって、二日に亡くなられました。先生はどこまでも尊皇的でした」

 山口二矢烈士も二日だった。
 渥美勝乃命は四日だったなと思ってゐたらもう11月も半ばを過ぎた。