7000冊の本を救った男たち

 熊本の農業修養団体、合志義塾農道部発行の『耕作の歌』を読んでゐたら、尊皇義勇軍を巡る座談会が載ってゐた。終戦詔勅を偽勅だとして藤崎宮に集合し、軍に戦争継続を訴えて決起した。参加者は合気道の中島淑人万生館館長、北原一穂、工藤誠一県会議員、荒木精之日本談義社長。
 工藤が八月十九日に上京し、最初に会ったのは天下一家の会の西村展蔵だった。翌日に安岡正篤、三上卓にもあった。総理大臣官邸にゐたと書いてあるが、何をしてゐたのか。
 このすぐ後に出てくるのが、熊本の陸軍幼年学校からトラック三台分の本を救出した話。県立図書館は空襲で壊滅してゐた。
 

 荒木 わたしの記憶では進駐軍が幼年学校にはいつてくる、本がそのまゝある、中には大事な、貴重なものもある。ところが向うは本は読めないし、様子はわからん、しかも日本の軍がもつとつたというわけで、きつと焼くだろう、そこでわれわれは日本の文化をまもるためにこつちで保管しようということで、持ち出したとおもうが 

 荒木は実際に本の救出にあたってゐた。「県立図書館の再出発の基礎はあの陸軍幼年学校の図書七千余冊があつたからできたのですよ。あれがなければどうなつたかわからない。そう見てくれば尊皇義勇軍の存在は焼土の熊本の文化をまもつたという大きな功績をもつていますな」とも語ってゐる。
 此の話はドラマ化されないのかしらん。
 さうすれば尊皇義勇軍のことも語られる。
 彼らは皇軍をスサノヲになぞらへた。元は立派だったが勝ちさびて尊大なふるまひをし、高天原から追放される。