約束破ったタゴールを震へ上がらせた本間憲一郎

 文治堂書店から出た、宗教哲学者の斎木仙酔の伝記には、タゴールやアブドル・バハ、松村介石も出てくるさうなが、まだ見る機会を得ない。
 タゴールといへば本間憲一郎である。『本間憲一郎先生の面影』は昭和39年10月と「あとがき」にある小ぶりの本で、本間の追悼録になってゐる。執筆者は40人近くになり、有名無名の浪人連が一筆を寄せてゐる。最初に詳細な年譜があったりして手作りの味がある。
 二人が書いてゐるのが、本間憲一郎とタゴールとの談判。微妙に記述が違ふが、大筋では、タゴールが来日する際、本間がいち早く接触し、水戸での講演を約束させた。ところがあとになって、持病が悪化しただの東京での講演が先だのといふことで、水戸での講演開催はできさうにないと言ってよこしてきた。これに怒った本間が、直接タゴールのもとに駆けつけた。

約束を破るとは何事だ。多数の聴衆に迷惑をかけても良いのか。此の責任は誰が採らねばならないのだと詰めより、一旦男が約束した以上破ることは許されない。日本人が責任の為に腹を切ると云う事を知らないのかと、眼光血走り顔面蒼白となって正に懐に手を入れようとした途端、許せ私が悪かつたと、流石のタゴールも震え上がつて先生に謝つたと云うエピソードがある(久松捨石茨城吟詠連盟師範「本間先生への思慕」)

昭和4年5月のことで、高良とみが通訳した。後に親交を深めたといふが、これはいかにも怖さうだ。国家主義とか反国家主義とかいふ前に、約束は守らうといふ教訓。