「ブースを懲らすべし」「寧ろ殺して了ふべし」

 明治40年5月8日、神田錦町の錦輝館でブース反対演説会が開催された。10日付の読売新聞によれば、立錐の余地もない盛況であった。滑稽な会合でもあったといふ。時刻は「一昨夜の午後一時」とあって、夜か昼か判然としない。

 宮井鐘次郎(雑誌「神風」とかの主任宮井某)や松本道別の名もある。
 本荘幽蘭は「最近に於ける妾の信仰」と題して講演した。

神道や仏教の経典が解り難きに反し独り基督教の聖書は解り易く自分も多大なる興味を以て常に之れを読み且つ之を以て更に神道の教理をも窺はむと欲する

と、聖書を興味深く読んでゐるといふ。しかし後段では、日本は各種の宗教を取り入れて来たのだから、ブースの言ふままに受け取るのはよくない、「批評的に之を聴くべし」と言ふ。絶対反対といふほどではなく、聴衆とのやり取りでも不得要領なところもあった。
 他の弁士の方が過激だった。無記名のとある弁士はかう言ふ。 

救世軍はブース大将を新橋駅に迎へたる時我が帝国を基督に捧ぐと云へるが如き文字を旗に記せるものあるが如きは実に悪むべき事なれば宜しくブースを懲らすべし

 どうやって懲らしめるかと言ふに、単に頭に瘤を作るだけでは帰国してから「迫害された」と言って却ってよくない、「寧ろ殺して了ふべし」とぶち上げた。
 これに、会主とあるから宮井であらう、「今の弁士が殺すと言へるは精神的に殺す意味なり」と修正してゐる。慌て振りが目に浮かぶやうだ。
 
 宮井が宥め役になるほど過激な演説をしたのは誰であらうか。