昭和天皇に称讃された下位春吉

『日本魂』の大正10年8月号を読んでゐたら、「東宮殿下御消息」が載ってゐた。当時皇太子だった昭和天皇が御渡欧した様子が報道されてゐる。それぞれ数行の「羅馬市民の大歓迎」(七月十六日電通社 羅馬発)と「御帰航の途に就かせらる」(七月十八日朝日新聞 名倉特派員ナポリ発)に挟まれてゐるのが「日伊交驩」(七月十八日国際直電 羅馬発)。

日本皇太子殿下には昨日、有名なる博物館、及び美術館を洽く御巡覧あらせられ、次で殿下には日本大使館に於て晩餐会を催されたり、来賓としては皇帝陛下、アオスタ公爵始め、羅馬の日伊両国名士多数にして、新聞紙は此晩餐会を以て戦争以来の最も盛大なる催しなりと記せり。皇太子殿下には下位教授が、文学上日本の為めに活躍しつゝあるを御称讃あらせられたり(以下略)。

 大正10年7月17日、昭和天皇が主催した晩餐会で下位春吉の活躍を称賛した、とある。
 この時の御渡欧のことなら他にも記述があるだらうと思って、ニ荒芳徳の本など何冊か見てみた。しかし載ってゐない。
 さう言へばこの項目だけ「朝日新聞」でも「電通」でもなく、「国際直電」だった。ふと飯盛山の件が過って、下位先生もしかして…と思ってしまった。


 所が他にもちゃんと関連記事が書いてあった。東京朝日の7月21日付夕刊に、下位が東宮殿下に拝謁した記事。日本を出て何年になるのか、ダンヌンチオは今何をしてゐるのかなどの御下問があった。ダンヌンチオはミラノに引退してゐて昭和天皇に拝謁させようとしたが、政治上の問題があるので結局実現しなかった。
 当時の下位は、直前に日本大使館臨時嘱託に任命されてゐた。