塚本たし「仮に戦争で敗けたとしても、日本の将来にとってはその方が良いかもしれない」

 『お題目と歩く 近世、近現代法華信仰者群像』(浜島典彦著、日蓮宗新新聞社、平成15年)は、江戸から現代に至る日蓮信徒の紹介本。全部で27項目。全部挙げると双葉山中条静夫山本昌広美空ひばり、中村八大、岡晴夫三遊亭円右小林一郎、加治時次郎、橋本雅邦、山田三良、春日屋伸昌、芥川龍之介、武見太郎、長谷川等伯辰野金吾塚本三郎、大獄孝夫、鴻池の人々、相賀家の人々、坂家の人々、土光敏夫深草元政、新居日薩、綱脇龍妙、鈴木修学、柴田一能。
 
「序にかえて」は渡邊寶陽。一項目あたり8頁なので次々読める。少し物足りないぐらゐ。生没年が明記してあるともっと良かった。 
 平民病院の加治(加藤)時次郎や辰野金吾は意外だった。
 このほかに諸橋轍次新村出も法華信者だったといふ。

 ただこの本を開くと、上にあげた人たちではなく、著者と武見敬三のツーショット写真が目に飛び込んでくる。巻頭のカラー写真はこれだけなので目立つ。
 武見家は父の太郎も熱心で、茂田井教亨と信仰談義をするのが楽しみだった。本書では、茂田井からご染筆を貰ったのは「次男の敬三氏」と明記してあるが、web上では「太郎の息子」になってゐる。
 
 塚本三郎は元民社党委員長。実家は後藤姓だが、布教師の塚本たし尼に大きく影響され、養子となり塚本姓を名乗った。塚本たしの昭和20年、敗戦前の説教が残ってゐる。
 

 「仮に戦争で敗けたとしても、日本の将来にとってはその方が良いかもしれない。それは仏のはからいだ。仏教では因果応報を説くが、必ずそれがやってくる」

 各項目に見出しが付いてゐて、塚本のものは「法華経信仰を貫き創価学会新進党に『否(ノー』を送った政治家」。塚本が落選していなかったら、新進党への合同はなかったといふ。
 「相賀家の人々」は小学館創業者、相賀祥宏が出てくる。昭和4年に病臥したとき、小伝馬町の身延別院から加賀美日聰が祈願にやってきていた。
 「ガードマン」の中条静夫永田雅一大映社長は日蓮宗信徒。永田が「同じ信徒としても応援するから、今後もぜひ良い役をしてくださいよ」と励まされた。