全人類に田中智学の著書を薦める石黒寅吉横浜駅長

 今年は彼岸が過ぎても暫く暑かったけれども、やうやく秋めいてきた。本についての催事の案内も出来てきた。
 『心之糧 鉄道人と読書』(東京鉄道局、昭和16年7月15日発行)は『教養資料』の第百輯記念号。読書特集で、208頁もある。鉄道関係者の読書についての寄稿集で、感銘を受けたもの、最近読んだものについてつづってゐる。書名だけを挙げた人も含めて72人。役職に長のつく人ばかりで、駅長が多い。当時の読書環境がうかがへて興味深い。
 東京鉄道局長(のちの参議院議員)、高田寛の読書論がいい。

本屋の広告を信用すればどれもこれも後世に伝へるに足る名著ばかりである。忽ち十数版とか言つても決して当にはならない。或読書人の話に出版後一年を経過しないものは決して買はぬことを良書選択の金科玉条としてゐるさうであるが、皮肉な面白いやり方だと思ふ。

私が言ふのはあまり四角張つた気持で本を読むなと言ふことである。さあ之から読書するんだ、そして智識を身につけるのだと言つた様な緊張した気分は禁物である。余り功利的の直接の効果をねらつたのでは読書は私共の慰安とならぬばかりか一種の労働となつて仕舞ふ訳であつて、之では折角の読書もおたがひに昼間乃至は夜までも各自の職務に精根を尽して働いてゐる労働者階級には到底近寄りがたいものとなるのである。

 読書の効用は、古今遠近の人物のものの見方を知ることができることだといふ。

マインカンプを読んで感動させられたならば直接ヒツトラーに逢つて手を握られた位の効果はあらうと言ふものである。かう言ふ風にして物の見方乃至は人生に対する考へ方に就て好ましい示唆を受けるのが読書の第一の目的であつて、然もそれが季節の推移の様に何時の間にか気づかぬ中に極く自然に達せられる所に妙味があるのである。

 マインカンプについては別に良書紹介欄にも『我が闘争』の書名であがってゐるが、

尚読書の際は我が国情や環境と対比して読まれる事を希むもので、特に彼の国家観、即ち「国家は一つの目標への手段である。」といふ事等は我が国家観とは相容れぬ思想である事に留意せられたい。

 と注意を促し、批判的な読書といふことも教へてゐる。ヒトラー民族主義、日本は国家主義といふことであらう。
 勿論感激した、人生の指針になったと読書を語る人も多い。島本又一工作部庶務課長が挙げるのは、天声人語の筆者も務めた武藤貞一の著書ばかり。7冊の書名を記し、「二、三度繰返した程私の興味を捉へた」といふ。
 石黒寅吉横浜駅長は、高山樗牛が激賞した、田中智学の『宗門之維新』を購入。「強く強く私の心を刺激したのです。そして私は断然走つて智学先生会下の国柱会に信行員として入会しました」。三保にも修養に行くなど熱心だったが現在は少々おろそかになってゐるといふ。しかし著書は読んでゐる。

殊に智学先生が四十年間身命を賭して叫ばれたる「日本国体学」講座の如きは私の感激、最も深き処、敢て時局で全日本人、否全世界の全人類が一人残らず熟読、玩味されん事を熱望してやまぬ良書と確信致します。

 全体的には伝記や宗教書、修養書、古典、海外文学などが多いか。大川周明の二千六百年史も人気だ。若いときから順次書名を挙げてゐる人も複数ゐる。このスタイルは現在少なくなってきてゐるかも。内容の抜粋だけでなく、やはり個人の考へを記してゐる文章が面白い。満尾君亮監督部長(のちの衆議院議員)に次の文がある。

 読書は読書する丈でその時間を他の方法に依つて費すよりも有益であると云ふ思想が無条件に容れられてゐやしないか。
 筆者思ふにかくの如きは一種の迷信である。良書は読むべく悪書は斥くべし。悪書に心身を労するは書を読まないよりも遥に有害である。

 その満尾のいふ良書は『クオレ』『三銃士』『カンデイド』『デカメロン』など翻訳ものが多い。和書では『富士に立つ影』を激賞。主人公の熊木公太郎について「東西の小説類中の人物に求むるも其の類型を見ない。筆者は釈迦よりもキリストよりも偉いと思つてゐる。否、大好きでたまらぬ」「此の本の提灯持ちはいくらしても足りない様な気持」。





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