鼻息荒い茂木久平

 続き。長島又男は明治37年生まれ、昭和2年早稲田大学政治経済学部中退。聯合通信社入社。電通と聯合が合併した同盟通信社政治部長論説委員など務める。戦後は『民報』を創刊し主筆。兄の隆二は桂太郎の女婿。
 
 天龍関が角道改革を志した春秋園事件について書いてゐる(p93)。茂木久平が登場。
 

××園には、変り種の男が始終やってきた。東京市役所勤務の茂木久平という男で、鉄ブチの眼鏡をかけた小がらな人だが、彼のいうところによると、天龍の角道改革を目的としたこんどの騒動も、一皮むけば、彼茂木久平の芝居である、というのである。どこが、どういう工合に、彼の芝居なのか、今日では憶えていないが、大変な鼻息で、毎日、ジンギスカン鍋をつゝきながらあげる気焔は大変なものだった。一東京市吏員という勤人の身でありながら、毎日朝からこんなところで、駄弁っていてよく馘にならないもんだ、と思ったが、彼の過去は、これも彼の口からきいたところだが、何でも、遠くモスコーへ出かけて行って、スターリンと会見、大いに意気投合したんだそうだから、東京市も、茂木が、たとえ表面上は、一介のサラリーマンにすぎなくても、馘になぞできなかったのかもしれない。あるいはまた、東京市吏員とは、世をしのぶ仮の姿であって、実は、地下に根深く根を下した、凡人の知るをえないところに、彼の本職があったのかもしれない。

 なぜか「大井の何とかいう中華料理屋」などぼかしてあるが、春秋園。なぜ茂木を語る人は思はせぶりなのか。茂木の「芝居」も本当に忘れたのか書けないのか。
 著者は頭山秀三とは面識があるが、「とりたてていうほどのことはない」。浪人の親分になるには、なんでもないことを恰好つけていふのが大事だといふのを学習したくらゐだと嘯く。辻嘉六は学生時代から知ってゐていろいろな関係があるが、「あまり知っているので、却って書けない」。しかし僅かに風貌が書いてある。背が低くて洋服が似合わないので着物ばかり着てゐた。入れ歯だった。髪を真っ黒に染めてゐたので二十は若く見られた。