犬養暗殺の霊示を頭山翁に伝へた西村展蔵

 天下一家の会事件に利用されたといふ、西村展蔵の天下一家思想。息子の西村一生が書いたのが『西村展蔵の生涯』(北斗書房、昭和53年4月)。巻末に年譜や家系図が附き、家族写真のやうなものも沢山載ってゐる。その中に神職の装束を着装してゐるのがあって中を読んでいくと、吉崎晋「神機は神使のみの伝えるところ」にぶつかった。
 西村展蔵と友人の島谷文雄は昭和4年2月、田布施神道天行居に入会。友清歓真のもとで古神道を学んだ。そのなかで、犬養首相暗殺の霊示を受けた。中止させようと上京し、昭和6年6月20日に頭山翁に面会した。しかし「犬養も一度は政治家として首相になりたいだろう。政治家として暗殺されることもまた本望ではないか」といはれて、翌年本当に殺されてしまった。
 年譜を見ると、昭和6年7月10日、上海の西村宅に本間憲一郎が訪問。「頭山秀三(三男)を預る」とある。昭和7年2月10日は夫人と共に頭山邸訪問。
 上海共同租界の島谷宅には神道天行居の神殿があり毎月例祭を斎行、祝詞を奏上した。天下一家の思想は天行居の行是だったといふ。
 昭和15年秋にも日支和平の件で頭山邸を訪問。「いまさら軍関係がどうにもなるまい」云々と言葉少なだった。
 神兵隊の前田虎雄が再び決起する霊示も受け、この時は本人に勧告して思ひ止まらせた。上海では前田の姉が江星館といふ旅館を経営してゐた。
 
 上海のボス、杜月笙や迫水久常内閣書記官長との交友にも紙数を割いてゐる。