山本達雄内相「ホホオ」「ヤア」

 長島隆二議員の弟の長島又男が書いた『政治記者の手帖から』(昭和28年3月、河出書房)。検閲の様子が出てくる(p134)。

 図書課へ行くと、係官が、文字どおり、新刊の書籍に埋まって、赤鉛筆を握っていた。青い顔をし、ときどきプーツと深い呼吸をしたり、シンコキュウをしたりしながら、本の頁をめくりつゝ、この赤鉛筆で、チェックしてゆくのだが、商売柄とはいゝながら、あんなにも早くて、よくまあ検閲がやれると思われるように機械的である。それは、もはや普通の人間でなくて一箇の機械人間である。あとで赤鉛筆のあとをみると、感心することに、当時の検閲基準どおり、あぶなそうな箇所は、一つ残らずチェックされているのである。こゝへ行けば、いわゆる発禁本が、借りられる。今日考えると、バカバカしいように思われる書籍が、思想上、風紀上随分発禁削除にあっていたものだ。

 見る量が多いので、次から次に機械的に見ていかないと業務が終はらなかった。記者は検閲する発禁本を借りることも、映画を観ることもできた。内務省一階奥に3つほど映写室があった。 

 記者クラブは、国内の映画や外国もののうちで、いゝのがあると検閲から知らせがあって、週一回ぐらいずつ、この映写室で、検閲の鋏の入らない未封切映画を鑑賞したものである。いわゆるエロ映画と称するいかゞわしいやつを、鑑賞することもある。この映画は、警視庁が没収してきたものである。

 民政党山本達雄が内務大臣だった。80近かったが、「おやじのやつ、若がってやがるから、一つ反応をみてやろう」と誘ふと、秘書官も事務官もついてきた。 

 さほど広くもない映写室は満員になってしまう。さすが猛者も記者連も、モノがモノなので、当今のストリップのお客も、そうだそうだが、物音一つたてず、シーンとなってみているのに、山本大臣だけは、ときどき「ホホオ」とか「ヤア」とかいう感嘆詞をはさんでは、一同を笑わせながら鑑賞するあたりは、さすがである。

 
 何やってるの…。