橋本徹馬「昭和天皇は話も下手、演説も下手であられる」

 続き。本当の「負けるが勝ち」が昭和天皇マッカーサー元帥との会見であった。岩越のいふ神のごとき負け方であった。「なんと弁解しても部下をのこしてフィリッピンの戦場から逃げだしたマック将軍と、まけて一身を文字通りすてて国民全部を救ったわが陛下との至誠の勝負は、たしかに一瞬についたのである」。
 

 一方は勝ちほこる傲然たるアメリカ総司令官であり一方はなんだかよろよれに感ずる背広服に猫背の天皇陛下であり、その外見はあの当時のアメリカ新聞がわざわざ写真にとって我々日本国民にこれ見よがしに見せてくれたみじめなコントラストをなすものであったが、その見えざる内容は一方は勝利にのぼせて自分一身のこの世的な威張りたさにおもい上った姿であり、一方はすべてをなげすてきった神のごときみいつの光を一ぱいにたたえられている真の王者なのである。真に負けることの偉大さをこれ程如実に示されたすばらしい王者の姿が歴史的にかつてあり得たであろうか。

 
さうして、紫雲荘を主宰した橋本徹馬の『紫雲』昭和40年12月号を引いてゐるので孫引きする。
 

今上陛下は話も下手、演説も下手であられる。永くお話していると、いろいろ面白いお言葉が出てくる。或る人が一時間あまり陛下と二人きりでお話していられた時のこと、陛下は「幸か不幸か幸いにも」といわれたので、おかしくなって笑わずにはおられなかったという。

 岩越も「全く議会の開院式の御言葉のごときまるでなれない青年が立って読まれる様な、なんとなくおかしさがこみあげてくる様な朗読ぶりであると感ずるのは自分ばかりであろう。しかしながら皇国興亡の一瞬において全く軽薄な口さきの議員なぞ常人の想像も及ばぬエラさがあらわれるのである」。
 次第にかういふ空気に得心する人が少なくなると思ひつつ迎へる昭和の日。