岩越元一郎「日本は八月十五日以降から実はまけ出した」

 『日本及日本人』の昭和41年1月号に、岩越元一郎が「『まける』の哲学」を書いてる。肩書きは国学者。 岩越は玉音放送は小田原に疎開してゐて聞けなかったが、その事実を聞いて大変心痛した。しかし75歳の母は敗戦のことを「まけるが勝ちということがあるからそれでよいのだよ」とさっぱりしてゐた。絶望のうちにあった岩越は全く理解できず、母でなかったら手を上げてゐたであらうと思ったが、次第にその心理がわかってきた。
 武力で打ち負かされても、道理で負けたわけではない。武力で負けたからといってどうといふこともない。精神で勝ってゐれば武力の勝敗は度外してよい。むしろ戦中は勝ってゐた。「彼等は沖縄一島にさえ超物量の爆弾をそそいでもなお孤島を守護せんとする日本人の精神を奪うことは出来なかった」「特攻隊やひめゆり女子挺身隊のごとき、ことごとくアメリカにむかって永遠の義勇奉公の勝利の世界に散華して行ったのだ」。
 ところが8月15日以降、占領政策神道は弾圧され教育は改変された。「日本は八月十五日以降から実はまけだしたのである」。文化破壊者の山本有三文化勲章を与へた。

これは山本有三のみではない。敗戦後新聞を根城にして言論を独裁している朝日の天声人語氏や読売の編集手帳氏の、名をなのらず姿をあらわさずして毎日かいていること、十中八九は進歩的文化人のグループの一味であり、実に言論のファッショはいま日本に完全にのさばっている。なにが民主主義か、きいてあきれる程である。

 
 戦前に完成しなかったファシズム、実は戦後のマスコミによって完成しつつあった。

 この前は大原先生がテレビに出演したりしてさうでもないけれども、まだまだ耳目に触れる論調にその残滓といふものがありはしまいか。