『天の窓 杉田有窓子詩文集』は東海日日新聞社、昭和47年1月発行。序は宇垣一成。杉田は明治40年豊橋生まれ。同社の前身、東三新聞を創刊した。戦後間もなくからのものをまとめた随筆は2段組みで情報量が多い。岩下壮一神父を描いたもの、財団法人光明皇后会設立者としての挨拶などがある。独特で物議を醸しさうなものに天皇論がある。
杉田は反天皇制ではなく、国体を護持するためにこそ天皇は退位すべきだと説く。憲法・法律上、天皇に戦争責任がないことはその通りだが、道義的責任はあるはづだといふ。
祖宗の御霊に対し奉り申し開きの出来ぬ苦しさをお感じになっておられるに相違ない。その大きな責任をおとりになって、日本の折り目切り目をつけ、国民に本当の道義の在り方をおしめしになることは、陛下の自発的な御退位によるほかないと我々は考えるのである。
天皇制廃止論を抑へるためにも、御退位によって道義を明らかにすべきだと説く。そして天皇が崩御したらその神霊はアジア各地に陳謝に行かねばならない。
天子の御霊はその時にお淋しい限りであるから、もし進んで従者となるを欲する者があれば、これに越したことはあるまい。 というわけで、私はその際にお伴を仕りたい心境である。
と、断食して昭和天皇に殉死するのだといふ。
杉田の考へはあちこちに広がる。「日本の姿勢を正せ」と題した文章では、ニューギニア移民計画や中野正剛・天野辰夫らとの東条内閣打倒運動などに携はった関田由若の紹介から、天子自決論、皇居跡へのアパート建設論、国会議事堂を納骨堂にして楠正成も徳田球一も祭る論、それから与野党の国会議員を一人づつ交互に座らせる案へととめどがない。