林房雄「児玉誉士夫は天才」

『燃えよ祖国』の平成16年6月号(通巻131号)に、山平重樹の「評伝児玉誉士夫」第三回が載ってゐる。そこに、昭和44年12月6日にホテルオークラで開催された児玉作詞「民族の歌」発表会のことが記されてゐる。出席者約二千人。なかには岸信介萩原吉太郎、武見太郎、大映永田雅一社長、城戸四郎松竹社長、林房雄大宅壮一川内康範、藤吉男、関山義人、西山幸輝、白井為雄、中村武彦、佐郷屋嘉昭もゐた。
 マスコミからは福島慎太郎共同通信社長、村山長挙朝日新聞社主、原為雄毎日新聞相談役が出席した。
 会は古賀政男の指揮するオーケストラで始まり、21番に渉って殉国の志士を歌ひ上げた。 

 このパーティーでは大新聞社のお歴々が挙って出席し、スピーチで“児玉讃歌”をぶち上げた。これを報じた東京新聞に至っては、これ以上にないほどの児玉持ち上げ記事だったというが、そのためロッキード事件勃発後は、それを書いた記者が同社の社会部の連中に吊し上げられるハメになったというマンガ的な話まで伝わっているという。

 マスコミのマンガがつまらないのは昔からだなあ。


 これより先、児玉は昭和31年2月28日に『芝草はふまれても』の出版記念会を帝国ホテルで開催してゐる。出席者は約250人。『新聞展望』3月6日号によると、出席者は三木武吉大野伴睦河野一郎ら。発起人代表は三木武吉山浦貫一尾崎士郎林房雄の名が見える。乾杯は島田勝之助元三井合名常務理事。
 挨拶では山崎一芳新夕刊社長、三木、尾崎、林、山浦、太田正孝萩原吉太郎の内容が記録されてゐる。三木は「児玉君を知ったのは廿数年前だがそれ以来ぼくは児玉君をジャガイモかダイシヤイモのような人だと思っている」「日本青年に児玉君の真骨頂〝真実〟を教えるいゝ教科書であり大著述である」
 といってゐる。ダイシヤイモといふのがよくわからないが、褒めてゐる。 

 林房雄氏=児玉さんは私憤から公憤を発する怒を持った人です。そして敵と斗い、斗った敵と友達になる。巷間でいうような暴力団では断じてない。一言でいうなら天才です。

 林は二回ともパーティーに出席してゐて、親密の度がわかる。


 ・東京人のお墓特集、金玉均と頭山翁のことが載ってゐるのはいいとして、金の解説に「李氏朝鮮弘毅の政治家」とあって、思はず眉を顰めた。後期の変換ミスであらうが、墓の不遇といひ、死んでも蔑ろにされるのは何処の風であらうかと思ふ。