ブース将軍「我救世軍は諸子に先んじて北極に至らん」

『活動之日本』(明治40年6月号)は実業系の雑誌だけれども、身近な話題もあって読みやすい。編輯者は宮田暢。丘浅次郎「著述と出版」(p8〜11)や吉川潤二郎「観察と読書」(p42〜p43)、小崎弘道「煩悶除却法」(p39〜p41)など良いことを言ってゐるなあ。
 でも今日は中里介山救世軍論」(p15〜p18)。

余輩も亦曾てより其の名を聞て深く尊敬し、今や眼前其の人を見るに会して一層の感に打たるゝ、思ふに古来日本を見舞へる外人にして彼の如く偉大なりし人格もなかる可く彼の如き盛んなる歓迎に会ひたる者も無かるべし、余輩は殆ど狂に近き歓迎熱を目撃するにつけても多大に感興に堪え能はざりし也

 若夫れ無遠慮と熱着の強きとは救世軍の特色也、此の無遠慮固執は時に野卑として眉を顰め染むるほどに強烈なる事あり、殆ど押売りの如き態度を示すことあり、殆ど強請に似たる言動を表はすことあり、されど社会は特に救世軍にありて之を黙許す、救世軍の無遠慮固執は一般に其の特色として承認せらるゝの域に達せり、「押し」の強きを以て成功の要素とせば救世軍は十二分に此の要素を備へ得たるに庶幾からんか
     〔九〕
 大将ブース揶揄して曰く「地理学者諸子が早く北海探検に功を奏せざるならば我救世軍は諸子に先んじて北極に至らん」と、白髪童顔八旬の老翁が笑を含んで此の語を発するの時、誰か其の意気の壮烈に驚嘆せざるものあらんや、其の世界五十三ヶ国の国家と殖民地に「血と火の軍旗」を翻へし、十万の軍人を有し、百万の出版書数を有し、幾んど天の下を征服し悉さんとする救世軍の猛烈なる戦闘的精神此の一句に躍如たり、救世軍の生るゝ所以あり、その熾んなるまた所以あり、ブース存する限り救世軍は遂に全く全世界を風靡するなる可し
 

 介山居士、表現が過ぎるところもあるけれども、だいぶブース将軍に圧倒されて、熱を受けてゐる。救世軍の消長はブースとともにあるとして、早くも亡くなった後の救世軍の心配さへしてゐる。
 「日本帝国〜」の文言は出てこないが、折口青年を憤慨させた雰囲気が伝はる。