蟹は甲羅に似せた穴を掘る‐頭山翁と朴春琴

続き。

 これは昭和五、六年頃の頃であつたかと思ふ、朴春琴君が日本勧業銀行から担保流れの大邸宅を買い込んだ。芝高輪南町の高台、北白川宮家の板塀を隔てゝ筋向いの素晴らしい建築美、なんでももとは天下の糸平とかゞ建てた家だということだつた。
 移転祝の当夜招待された客は頭山満先生御夫妻、丸山鶴吉氏、細井肇氏等皆夫人同伴の賑やかさであつた。先づ部屋ゝゝの案内、庭園の美、中でも洋館二階から眺めた品川沖の風光のよさは今でも瞼に残つている。
 日本座敷に通されて山水楼が腕によりをかけた自慢の支那料理、どれもこれも結構づくめであつた。
 酒三行――やがて朴春琴君はお盃頂戴と頭山翁の前に罷り出た。
 平素の温顔そのまゝ、慈愛に満ちた翁の眸、やがてポツリと翁の唇はほころびた。
 「朴君、蟹は甲羅に似せた穴を堀ると云うことを知つて居るか」
 一瞬、朴君は戸惑つた格構であつた。
 「この家は立派ぢやが君には大き過ぎる、早く売つて別なところに建てることぢやな」
 この一言に朴春琴は額を畳にすりつけんばかりにして翁の言葉を聞いていた。
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 軈て朴君は頭山先生の言葉通りこの家を売つて、間もなく本所厩橋近くに新居を作つた。
 「惜しい家だつたが、これを翁の忠告通り手離した朴君も感心な男である」
 朴君が代議士に打つて出る時は、翁を初め当夜招待された人達は心からなる後援と激励をしたものだつた。
 この高輪に移転した時は、朴君は代議士であつたかとも思ふ。

 奇しくもと言ふか何と言ふか、李起東も朴春琴も不動産絡みの話。掲載誌の『人物月旦』、他に全く見かけないが、細井肇の『人の噂』発行の月旦社と関係あるのか。