朝日新聞社員が戦端を開いた“銀座沖海戦”

 続き。この本、大朝日の記者列伝なのだから朝日から出版したらよいものを、波書房といふ小さな出版社から出してゐる。巻末の書籍広告は「旅の穴場シリーズ」や『世界驚異人間物語』『竜馬暗殺推理』などの読み物。訝しく読み進むと、その理由がわかった。
 この本、金と女と下の話ばかり出てくる。それで公式に築地の方からは出さなかったと思はれる。著者が例外的にさういふ資質なのかといふにさうでなく、「猥談と性教育」の項では、暇なときの社会部はさういふ話ばかりだったといふ。「×××(原文では実名)さんに至っては、顔そのものが一物の如き観を呈していようという猥漢である」なぞ平気で書いてゐる。
 その次に目に付くのが暴力。昭和3年、誤植で当時の皇后陛下薨去させてしまって、政友会の院外団が大阪朝日で乱暴を働いた。東京に飛び火したとき、混乱を収拾したのが久琢磨(ひさ・たくま)。武田惣角植芝盛平らに学んだ武闘家で、合気道、相撲、柔道〆て二十六段の猛者。中村天風からはヨガを学んでゐる。富山組(組長はのちに山口組に殺された)の手下らを糾合して壮士らを追ひ散らした。
 久は東京では庶務部長。藤本尚則が年始の挨拶に向ふ順番は、一番が頭山翁、二番が高橋蔵相、三番が久だった。

 戦後も暴力譚。昭和22年、田代喜久雄常務取締役、斉藤信也夕刊素粒子筆者、矢田喜美雄緑屋重役の三名(肩書きは刊行時)が銀座で呑んでゐて、進駐軍の婦女子に対する暴虐ぶりに憤慨してゐた。ところに紺色のネイビーがやってきて、バーテンの酒の注ぎ方に難癖をつける。
 

「おいッ表へ出ろッ」
「ホワット、ハプン」?
 とか何とか云って、進駐軍は表へ出て来た。それからは、三人がてんでに別れて、ネービー相手に乱闘の幕が切って落とされた。

 朝日側は劣勢で、斉藤はドブ川に投げ込まれ、田代は前歯を三本失った。矢田が飛び蹴りをお見舞ひして倒し、三十間堀に投げ込まうとしたが、大男なので持ち上がらない。そのうちMPが来たので沙汰止みになった。この大立ち回りが仲間内で“銀座沖海戦”と命名された。
 
 この3人なら、主権回復を祝ってくれると思ふが、どうか。