検閲される折口信夫

 『興亜』昭和17年9月号読む。7月13日に晩翠軒で開催された「興亜宗教座談会」が載ってゐる。出席者は常盤大定・折口信夫・笠間杲雄・長井真琴・宇野円空・山本忠興・木村日紀・中保與作。主催者側として大日本興亜同盟の企画局長尾崎敬義・企画部長匝瑳胤次・編輯部長山上昶・主事西田当元・嘱託武内紫明。主催者側では尾崎と匝瑳のみが発言。匝瑳は一頁を費やして、まだ独立前のパキスタン運動に注意を喚起してゐる。

 

 日本ではすぐ軽々しく日本精神即ちイスラムの精神だといふことをよくいひますがあれは回教徒の心ある者は非常に怒る。ですから指導するときにはよほどしつかり掘下げて研究もし、よく考へもしてやらなければとんでもないことになる。現に支那で日本がやつてゐる所謂回教徒対策は大体に於て失敗と見ていゝことは御承知の通りであります。(笠間)

とあるやうに、宗教工作の在り方が話題になってゐる。
 折口発言の小見出しは「海外の神道はどんな状態か」。 

どうも外国へ行つてゐる日本の宗教家は、あつちに行つてゐる人がお刺身を食べたり、畳を引込んだりするのと同じ意味で日本の宗教を欲してゐる。その要望を充してゐるといふやうな意味の宗教家が沢山行つてゐる。これは求める方が悪いのでせうが、宗教家自身も覚悟が足りないのだと思ふ。

皇典講究所が北京に華北総署といふのを先年から開きまして、大分大きな家を借りて、お金を掛けて改造し、そこで禊の場所や合宿所を設備しました。そこで「これは支那人にやらすのか、日本人にやらすのか」と訊いたら「いまのうちは日本人にやらせて、暫らくしてから支那人を指導する積りだ」と友人はいつてゐました…どこへ行つても、やはり内地の生活のまゝの形で持つて行くのでは私は困ると思ひます。もう少し向ふの人の肚の中に入つて行かなければ駄目だと思ひます。

 折口は端的には「どうも神道はもう少し普遍的な形にならなければならぬと思ふ」とあるやうに、現地に合ふやうな神道を模索するべきだと主張してゐる。世界宗教としての神道といふのは戦後からでなく、この時期から考へてゐたことがわかる。南方に進出した場合、季語が通用しなくなることにも言及。
 皇化に浴せしめるどころか、日本が日本でなくなるといふこと。 
 木村日紀の「一度あなた(折口氏)がいらつしやるのでお訊きするのですが」のあとは「(七行削除)」。少し後の折口の発言も「(以下三十六行削除)」。座談会中、削除箇所はここだけ。どうも宗教家の何かの説明が一貫してゐないのを木村が問題視し、折口が「それは一貫してゐないといふより、…説明が個々別々だといふことですね」等と擁護してゐる。国体とか神道神学上の問題で、意見が不統一なのが話題だったのだらうと思ふ。