漢字廃止に執念を燃やした米沢良知

 『尾崎行雄先生の志を継いで』は米沢良知著、甲府市の漢字廃止研究会発行、昭和46年4月発行。

 著者は明治32年11月生まれ。印刻業に従事してゐたことがあり、漢字に造詣を深めた。満洲国皇帝の御璽も献納した。山梨水晶株式会社を設立し社長を務めた。戦後は自民党山梨県連副会長など。会長は田辺宗英。戦中の田辺が興した大日本勤皇会のことを持ち出して、著者が就任を説得した。

 晩年の尾崎行雄は漢字廃止を悲願としてゐた。「漢字亡国論」に曰く、日本が平和国家として世界をリードするためには、そのための鎌が必要だ。鎌とは文字のこと。

世界広しといえども、現在われわれが使っている漢字や、その漢字を土台にした言葉ほど知識の開発及び国際的談話や通信に不便なものはなかろう。こんな鎌はいくらといでも、知識の草をたくさん刈りとることはできないであろう。

 と、漢字の不便な点を列挙する。漢字は意味があいまいで、八紘一宇といふのも日本に災ひしたといふ。

 著者は尾崎の遺志を継ぎ、片仮名組み合わせ文字を開発した。この新文字は、カタカナ2から3文字を一文字にまとめたもの。改正も快晴も同じで、カイ セイ と書く。これなら画数を大幅に減らせる。漢字学習の時間を、ほかの勉強に振り向けることができる。漢字を新文字に置き換へ、平仮名はそのまま使用する。

衆参両院に、漢字廃止の請願を提出。遺言書にも漢字廃止に執念を燃やす言葉を書き連ねてゐる。

 

・『漢字ハカセ、研究者になる』笹原宏之、岩波ジュニア新書、令和4年3月発行。読む。子供のころから漢字の魅力に取りつかれた著者の回顧録。自作ノート、11万円もする大漢和辞典を祖父に買ってもらふところ、図書館や書店に入り浸るところの没入ぶりが微笑ましい。身分証を偽造して某図書館に向かったり(使用せず)、嘘をついて出版社に本を交換してもらったりと、愛書家の業も端々にのぞくのがよい。

 

長戸路政司「敬愛運動は霊火運動である」

 『敬愛』は千葉市の敬愛運動本部発行。昭和12年4月発行号が創刊号。64ページ。長戸路政司主幹の運動。西郷隆盛敬天愛人を基にしたとされてゐるが、詩情あふれる言葉が並んでゐる。

愛は一より二に、村より町に、日本より大陸へと不退転なる天業具顕の霊火なり。

讃美せよ、自然のことはりを。讃美せよ、彼等のよそほひを。そして之等の凡べてが混迷に暮れ苦悩に喘ぐ吾々人間に何を教へてゐるかを静かに思へ。

 「敬愛運動の本領」は「敬愛運動は霊火運動である」といふ宣言から始まり、次のやうに終はる。

嗚呼この敬愛運動いかにもして日本の霊火となり春の野の若草の如き有為の青年を風靡し彼等をして自己内在の神性霊格に目を覚し敬天愛人誓願に立ち上らしめ世界に於ける日本の使命に奮ひたち真に奉仕の誓献に進ましめたい。

 児玉花外の歌や賀茂百樹の文章、吉田絃二郎の詩もある。

 

・『撃壌 「東海のドン」平井一家八代目・河澄政照の激烈生涯』は山平重樹著、徳間文庫、令和3年9月。豊橋出身で東海地方統一を志した男の実録任侠小説。終盤に杉田有窓子、花房東洋らとの交友を描く。解説も花房。

 

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日蓮神社の建設を提唱した塩津淳一

 『忠聖 日蓮傳』は塩津淳一著、大東亜立正協会発行、昭和19年4月発行。原稿自体は昭和18年8月ころまとめられたものか。

 本書は日蓮の伝記だが、宗教家の枠を超えた勤王家としての日蓮に焦点を当てたもの。インド式の俗世を避ける仏教ではなく、非常時に自ら進んで戦ふ獅子の仏教を奉じたものとしてゐる。

他宗派を非難するところでは、念仏門は極楽世界を盲信する共産主義だと指摘する。

汗一粒も流さないで、どんな悪人でも、否、その悪人こそ、往生の正機だと説いてゐる。これでは全く因果の理法を無視したもので、汗みづくになつて正直に働くのは馬鹿者だといふやうにも聞える。

 大東亜立正協会では、実行計画として9つの項目を挙げる。その中にもあるのが、日蓮神社の建設。楠木正成加藤清正水戸光圀東郷平八郎、彼ら日蓮主義者は神として神社に祀られてゐる。しかし日蓮本人が祀られてゐないのは遺憾に堪へない。

 日蓮神社建設の議、といふ文章もある。

一億一心といふふうな常識では最う追ひ付かない。その一億一心の全国民が、一人残らず「超人」化することでなければならぬ。それほど、時局の要求は重大である。この要求に応へる一つの成案として、我等は茲に日蓮神社並に立正道場の建設を提唱するものである。

 すでに賛同者もゐて、伊豆・伊東に土地も用意できるやうに書かれてゐる。

 実行計画はほかに、虚弱児童の錬成、不良少年の薫化、教科書改善運動、海外殉国者供養塔建設など幅広い。虚弱児童については、すでに小湊学園で収容を始めてゐるといふ。

前方後円墳の造営を提案した長沢九一郎

 『氏神と人間完成』は長沢九一郎著、氏神崇敬人間完成会発行、昭和35年6月発行。正誤表付き。発行所の人間完成会は富岡八幡宮内にあった。この本は同八幡宮などで行はれた講演などをまとめたもの。長沢の写真も載ってゐる。丸眼鏡でマイクの前に立ってゐる。

 内容は神道をはじめ仏教やキリスト教も織り交ぜて、神霊や宗教、氏神を語ったもの。ユニークでありながらどこか説得力もある論旨がすばらしい。

 冒頭は宮城道雄の列車転落事故から始まる。宮城は盲目の琴の演奏家。内田百閒との交友でも知られる。その宮城が電車から落下し死亡してしまった。長沢は、これを死神の仕業だといふ。死神は神道的にいへば無縁の霊魂。これを氏神でまつることを訴へる。

私は無縁霊魂の氏神復帰、つまりルンペンの霊魂を産土の産霊神にもどし、母祖(伊勢の大神)を淵源とする郷土の氏神の懐にいだかせることを提唱したい。そしてこれらの霊を祖霊とともにまつり、かくして「不慮の穢気(えげ)」をおこすような「禍事」を封じ、「禍転じて福となる」ていの恩徳をつんでいくのである。

 カメなどに入れて納骨堂に納めるのはよくない。霊魂は死後、骨がある限り現世に執着する。早く骨を土に返すため、風呂敷や木箱で葬るべきである。

 葬り方の一案として、共同式の前方後円墳をつくることを提案する。

この墳墓円を神社本庁が指導し、これを各都市、県の神社庁の付属施設とする。そして一般庶民が軽い負担で安心して先亡祖霊の「物心一体」を氏神に祀ることができる

 高い葬儀代問題も解消できるといふ。

 現代の社会問題と神道を結びつけて考察することも特色で、環境破壊についても次のやうに解説する。

神社神道では、このマグマを神格化し、国魂神とあがめている。この神は別名「産土神」ともいわれ、郷土の氏神と一体化し、一つの神徳を発揮している。だが、消費の濫費に対しては、この神が気象現象の異変となって人をいましめ、人心の覚醒をうながすが、このことにおもいをいたす人はまことに少い。

 神社神道では、地球のマグマのことを神格化してあがめてゐる。だが物を大事にしない現代人に対し、その神様が異常気象を引き起こして警告してゐるのだといふ。

 著者の念願は、神社の本来の姿をあらはすこと。それは氏神を顕幽の間に立つ神聖な仲介場とする。死後の霊魂の浄化をはかる。そのために「人間完成六カ条」を掲げてゐる。胎教、身調べ、隠徳、氏神崇敬、祖霊祭祀、万霊供養からなる。

 胎教は聖母マリアや海外の霊媒家たちを引例し、大切さを説く。妊娠中絶の非も宗教的に論じる。陰徳は布施・愛語・利行・同事の四摂法で、仏教の教へ。

 戦後の長沢については不明な部分が多いが、托鉢をしてゐたこと、痔疾が悪化して入院したこと、その時の婦長の看護に感動したことなどが断片的につづられてゐる。女性を主題にした文章も、この経験あってのものかもしれない。

 

山崎清「読書は危険だ」

 『顔の散歩 へぼと立派の考現学』は山崎清著、美和書院、昭和31年10月発行。著者は長くフランスに滞在し、石黒敬七とも一緒にゐた。ムーランルージュの裏にも住んでゐた。執筆時は日本在住。

 古今東西の人物の顔について、個人の感想を書き連ねたやうに読めて、あまり感心しなかった。書名とは関係のない、「本を読むな」の章を面白く読んだ。

 読書は危険だ。自分がえらくなったように感じることが危険なのである。ほかの人の読んでいないようなものをたくさん読んでいると、知らぬまに自尊心が高まって、冷静に他人を見下ろして観察し、判断し、批判する。周囲のひとは、むろん、本を読む人間を敬遠する。だから周囲の人々との間に溝ができる。読書は、人ぎらい、交際ぎらいの性格を養成しやすい。

 読書は自尊心が高まって危険だといふ。読書の間は一人なのだから、当然人嫌ひ、交際嫌ひになる。まっとうな人間なら本を読まずに金を稼げと忠告する。

 山崎自身には「暴力読書」の経験がある。これは一日中本を読み続けること。午前5時間、午後6時間、夜5時間で合計16時間。朝は午前5時か6時起床。しかしこんなことをしてはいけない。本を読むと社会のお役に立たない人間になり、貧困になる。太陽の下でダンスをした方がいいといふ。

 著者は神社仏閣や教会に冷淡だ。建物を見ても感動しない。雨露をしのぐときや、境内の木々を薪炭にするときには役立つぐらゐだとうそぶく。戦争で焼失した神社仏閣を再建するぐらゐなら、医療施設を建てた方が役に立つといふ。

 ここに、神社仏閣の建立費と称して、善男、善女の浄金を徴集して、すっかり集まったところで、素知らぬ顔で、病院と養老院を建ててしまう、がっちりした、或は、いささか頭のおかしいペテン師があらわれてこないものであろうか。

 神社仏閣の金集めは直接批判しない。騙してその金を病院などの建設費に充てる。そんなペテン師待望論を唱へてゐる。これも金集めを評価する著者らしい。著者は次のやうにも言ってゐる。

お金も儲けることだけが生物人間に課せられた唯一の任務だという原則の行われている現代に、本を読んで面白いと思うようでは、もうおしまいである。

 おしまひ。

「笑われる覚悟」で書いた大光明眞雄

 『歩く道が与えられた道 昭和初頭の人生実記』は大光明眞雄著、中外日報社、昭和59年9月発行。序は杉田有窓子。

 著者の読みは、おおみや・しんゆう。明治40年愛知県豊川市生まれ。大正大学、大東出版社、知恩院布教講習所を経て、樺太の豊原開教ののち、昭和16年から豊川の光明寺住職。本書には樺太時代、戦中の翼賛壮年団の様子が描かれる。

 布教所での生活や学問には感謝の念を表してゐるが、開教区志願のときには憤りを隠さない。志願後は北支か満洲か、なかなか行く先が決まらなかった。殆ど退去寸前に樺太行きが決まった。現地は体感温度マイナス50度。生活に慣れ、寺を再建するのが軌道に乗りつつあるとき、急に実家の寺を継ぐことになり、豊川に戻った。

 終戦時、完成寸前の寺をソ連軍に接収されたと、のちに後継者から聞かされた。

 戦中の豊川市について、著者は『豊川市史』の態度を批判してゐる。約900ページ中、大政翼賛会については僅か4行、翼賛壮年団については7行しかない。

この七行に至っては、全く事実を知らず、臆測で歪曲して了っているため、後代の人を誤らしめる恐れさえある。(略)敗戦後の民主国家の下で、自由を満喫しながら、その足場で、戦前、戦中の天皇制国家時代を記述してみたとて、到底、真を穿ち得る訳がない。 

 分量が少ないだけでなく、戦後の見方で戦時中を描くことも批判してゐる。著者は設立時から翼壮に携り、自分しか当時のことを知る者はゐないと自負し、飛行機献納運動、食糧増産運動、翼賛市議選挙などを語ってゐる。

 翼賛選挙では、推薦候補を推薦するための話し合ひや資料作りをし、候補の中に居住年が足りない人がゐて、その対策に追はれたりしてゐる。

今からみれば、神を恐れぬ所業であったに違いないが、その時は、むしろ神明に誓う位の清浄な気持で選ばれた、と思う。歴史の真実は、形からだけでなく、その時の、人の心の動きまでを、くっつけて伝えなければ、正確とは云えない。そう信じるから、敢えて、私は笑われることを覚悟で、旧時代人の打明け話を遺すのである。

 「戦争は、現に進行中なのだから、何としても、勝たなければならぬ」と意気込んでゐた著者。しかし敗色濃厚となり、これでは負けると言ったら、右翼の三浦延治に罵倒されてゐる。ユダヤ人だとか国外へ出ていけと言はれ、狂気に近い増上慢だと呆れてゐる。

 付記では、自費出版だが定価をつけたので、在庫の山とならないやうに頒布の協力をしてほしい、と訴へてゐる。

 

 

 

走水神社昇格運動と国防神社

 『みそぎ』國學院大學皇國禊會発行、昭和11年5月発行の第5号は大祓普及徹底号。大祓詞を載せ、「如何なる祭典にも大祓を全員にて合唱すべき」「戦争以上の祭典は大祓の言霊の絶大威力に依つて始めて実現せらる」と強調する。

 副会長の中野晴弘が「禊の社会進出一ヶ年報告」として、この一年を振り返ってゐる。14の項目があり、神奈川県の走水神社でも禊をしてゐる。走水神社を明治神宮靖国神社と並ぶ関東三大社に昇格しようとする計画があり、神社の後方10万坪の台地には国防神社を建設し、航空機も着陸できるやうにするのだといふ。大祭には頭山翁夫妻も参拝した。

 紀元節には皇学樹立国体明徴全大日本神道大会が行はれ、皇国禊会が奉仕。640名で大祓を合唱した。

 安房奥多摩、奈良での禊に参加した人たちの短歌も寄せられてゐる。

 文章では編輯人の宮原昌勝が禊の意義を解説。世界には禊が退転したものが行はれてゐるといふ。

太古我が高天原民族の世界流布に伴ひ、支那に至りては潔斎、祓除となり、印度に至りては灌頂砂撒となり、猶太也に至りては洗礼、パブテスマとなり、而して微に其の一部の形式のみを止どめてゐるに過ぎない。行者の苦行に至りては全く斯道の堕落せるものである。

 神道部の山浦三良は、同志社大の思想傾向を報告。野村重臣が法学部機関誌への論文掲載を拒否され、辞任したことを憤ってゐる。

 禊大会日誌は、武蔵御嶽神社安房・白濱稲荷神社でのもの。後者の筆者は木村音三郎。長い所感も書いてゐて、参加者の実感がわかる。禊は他人を出し抜いたり、競争したりして行ふものではない、和やかなものだといふ。

直会に移りたりし時、満場の光景恰も悪戦苦闘の正義の軍に勝利を得たる凱旋将兵が催す慰労と祝福の賀宴に比しきものなれり。(略)中野先生もさすが此の時のみは百万の大軍を見事蹴散したる戦勝将軍…。

 禊は決して苦しいだけの行事ではなく、爽快晴朗、何物にも例へられないものだと感動を露はにしてゐる。このやうに禊は素晴らしいものなので、学校はこれを正科として扱ひ、経費も一部か全額を補助してもらひたいと要望してゐる。