変はり者の島田整美堂の改心

 『商店之友』は大阪の島田整美堂発行。第70号は大正6年8月発行。現在は隔月刊だが、ゆくゆくは月刊にしたいといふ。裏表紙には

世間並を外れた、変り者を以て評判の島田整美堂は、自己の利益を望まずに、御得意様の為に尽します、

 とあり、その理由を説明する。ページを開くと、「何にも申しません!」とあり、とにかく少しでもいいから中身を読んでほしい、と訴へる。その隣には「改心致しました!」と、再びビックリマークと共に口上を述べてゐる。今までは店の商品の宣伝や広告を押し売りのやうに迫ってきたが、それは不都合だった。後悔してゐる。これからは心を入れ替へて、取引相手の店の繁盛を心から祈ることにする。その証拠に、『営業の栞』を改題して『商店之友』にして発行するのだといふ。

 この雑誌のやうなもの、目次はなく、「商売の極意」といふ商売人の心得、「事実小説 後悔」、カレンダー台紙の見本集、「金儲けを望まぬ営業方針 妙な塩梅にに変心した島田整美堂」などからなる。

 台紙見本はカラーで、孔雀や花をあしらったもの、女性の写真を載せたもの、丸いもの、ひし形のものなどさまざま。

 「金を望まぬ―」には、この冊子の発行理由が書いてある。島田整美堂は経営が軌道に乗り、どうしても金を稼がなくてはならないといふ必要がなくなった。今度は金を有意義に使ひたい、それでこの冊子を発行することにした。発行に不審がったり危惧したりする人の声も先回りして紹介してゐる。

『…其んな雑誌などを本気で読むで呉れるだろうか、読みたければ十五銭か二十銭で本屋にも売つてる雑誌もあるし、君が期待して居る程喜ばないかも知れないぜ』

 これに対しては、今までの本は商人が読むだけの価値がなかったからだ、島田整美堂は実地の経験から得たものを読者に伝へたい、読者はきっと無上の幸福を得て救はれる

、と使命感を持ってゐる。

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耳学問をすすめた荻昌朗

  『耳学問 聞きかじりをモノにする法』は荻昌朗著、日本経済新聞社、昭和47年4月発行。日経ノウハウ・ブックスの一つ。

 著者は大正12年生まれ、日本放送協会資料センター主査。著者略歴によれば「話のおもしろさは天下一品。これすべて〝耳学問〟の成果とのこと」。新聞切抜資料の研究もしてゐて、切抜100万枚のファイルもあるといふ。会社や団体の図書館・情報室の職員たちのサークル、「情報資料研究会」にも所属。図書館界の異端者がそろひ、創立10周年を迎へたといふ。

 著者の立場は、活字情報も大事だが、それだけでは不十分。限られた時間を有効活用するためにも「耳学問」の重要性を認識すべきだといふもの。活字を無視していいわけではなく、活字と音声情報それぞれの種類や特性を見極める情報整理術が大事だといふ。

イカーを運転しながら、満員電車にゆられながら、カセット・テープやトランジスター・ラジオによって新しい情報を得る。喫茶店で友人とお茶を飲みながら情報を交換する。講演会やセミナーによって知識の領域の拡張をはかる。われわれが耳学問によって知識を得る余地はまだまだ残されている。

 取り上げる対象は日常会話、ラジオ、テレビ、カセット出版、電話相談、図書館のレファレンスなどさまざま。カセット出版やソノシートなど、現在ではみられないものも論じられてゐるが、YouTubeスマホ全盛の現代に示唆に富むものもある。

 情報の道具論では、知的生産のためには書斎を持つべしと訴へる。一室まるごとが難しければ、部屋の一角だけでもいい。週に一日、ホテルで本を読んで書斎代はりにすることも紹介してゐる。

 各種の電話相談の番号も載ってゐる。いのちの電話の次に、「バカヤロー電話」といふのがある。

現代社会に対する不満や怒りを、電話機に向かって「バカヤロー」と怒鳴ることで発散しようというわけ。

 これも身の上相談の一種らしい。

 

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福良竹亭を訪ねてうんざりした城戸元亮

 『碧山人 自叙 城戸元亮小傳』は発行所などを示すものなし、あとがきは昭和42年10月。本文40ページに写真、年譜などがつく。毎日新聞社会長を務めた城戸元亮の自伝的な文章を集めたもの。『日本談義』『五十人の新聞人』『動向』などのものを収録。短いけれど、昔の記者生活を偲ぶことができる。

 明治14年熊本県生まれ、京都帝大卒。明治40年、大阪毎日新聞入社。京都支局長の福良竹亭を訪問した際の文章がある。

実にむさくるしいあばら家で、玄関に入ると、障子は破れはてて見るかげもない。それを、押しあけて現われたのが、お粗末などてらを着用したぶくぶく太りの福良氏であった。これが、天下の大記者の住居と風貌かと、事実、私はうんざりして新聞をよそうかと思ったほどだった。

 家はぼろぼろ、冴えない風貌で、新聞記者を辞めようかと思ったほどだった。ところが仕事になれば一変し、弦斎仕込みの文章を書き、出入りの官界政界からも畏敬された。

 当時の記者気質の愉快なことを回顧する。

私が新聞社に入って十年ぐらいの間は、新聞記者といえば、新聞が非常に好きな者か、頭が高くて人の前でペコペコしたくない者、それでなければ、新聞でなければ飯の食えない者ばかりであった。

 夏などは素っ裸で肩には濡れ手ぬぐひ、煙管を喫みながら仕事をする人もゐた。

 あとがきは息子から見た城戸評。学問の話は好きだが、金の話はできなかった。「人の噂や自分の経歴談なども口にしたことがありません」。父の仕事は他の人から伝へ聞いたといふ。

 

寺田稲次郎「こんな世界から、一日も早く脱出しなければならない」

『荒野に骨を曝(さら)す』は杉森久英著、光文社、昭和59年1月発行。書名に添へられた歴史・ドキュメントノベルといふのは、実際の歴史に材を取った小説。目次には「英雄と好色」「革命家の息子」「千島探険の勇者」「爆破行」「荒野を駆ける」「国士への道」「馬賊一代」「大陸に命を賭けた男」とあるが、これだけでは千島探険以外、内容がよくわからない。8章はそれぞれ8人の人物を描いたもの。帯を見ればわかる。頭山満宮崎滔天、郡司成忠、横川省三、伊達順之助、寺田稲次郎、小日向白朗、小沢開作。

 帯の文句が熱い。

今よみがえる“勇者の時代……”

かつて日本に“男たち(These Brave Men)”がいた!

夕陽の大陸を舞台に荒野を疾駆(しっく)した熱血漢たちの群像

 装幀と本文カットは巌谷純介。カットは各章にあり、頭山翁の章は女性の日本髪、伊達順之助はこちらを向く銃口、小日向白朗のは馬の前脚など意匠を凝らしてゐる。

 8人のうち一番珍しいのは寺田稲次郎だらう。柔道で立身した大化会会員。カットが柔道の帯をデザインしたものになってゐる。

 福岡出身で、玄洋社の道場で柔道を習ってゐたが、玄洋社員ではない。かへって乱暴な社員を嫌ってゐた。海軍兵学校や朝鮮の体育協会で柔道を教へたが、いづれも皇族の女官の無礼や幹部との仲たがひで辞めてゐる。「彼はいつも何かにあこがれていて、それが実現するまでは、寝ても覚めても忘れられない男だった」。

 偶然知り合った岩田富美夫の大化会に住み込み、柔道を教へることになった。ここでも会員たちを幼稚だとか空威張りしてゐるだとか思ひ、嫌悪してゐる。

 彼らに比べれば岩田は一味違ひ、「人を威圧する動物電波のようなもの」を発散してゐたといふ。それでも岩田を全面的に褒めたりはしてゐない。むしろ恐ろしさや奇行が強調されてゐる。

 彼の笑顔は下品で、卑猥で、金にかけても女にかけても欲望の過多な、貪欲な性質を丸出しにしていたので、同じ右翼で口の悪い北一輝などは、アンコウというあだ名で呼んでいたが、事実、彼は底に不気味な妖気をたたえていて、一つまちがえれば人を殺すことなど、何とも思っていないというふうに見えた。

 玄洋社の道場でも大化会でも、周囲の乱暴者を嫌った。大杉栄の遺骨奪取事件で有名になってしまひ、ついに浪人の世界から抜け出せなくなってしまったといふ。いつも自分の境遇に満足してゐたわけではないといふところが興味深い。

――おれの志はもっと高いところにあったはずだ。こんな世界から、一日も早く脱出しなければならない。

 寺田はいつも、自分に向かってこのように呼びかけていた。

 ただしこの本は「歴史ドキュメント・ノベル」なので、どこまでが事実なのかはわからない。各章の末尾には参考文献が載ってゐる。『巨人頭山満翁』『玄洋社史』、『伊達順之助の歩める道』など。小沢開作の章では4冊も挙げてゐる。

 郡司成忠と寺田稲次郎の章だけ参考文献がない。寺田、小沢、小日向には直接会ひ、伊達は息子に会ってゐるので、寺田にも話を聞いたりりしたのかもしれない。あとがきで「みな面白い人たちだった」と言ってゐる。

 

 

・『税金で買った本』読む。図書館お仕事漫画。図書の弁償、修理、配架など図書館の裏側を描く。啓蒙的なことを謎解きや面白さを交えて描くところが光る。充電魔の話も本人の気づきで解決に向かふところがよい。描き下ろしの学校司書さんはもっと出てほしい。

 

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千楽集に見る本のたのしみ

 『千楽集』は昭和16年4月発行の非売品。幕末の歌人、橘曙覧の連作「独楽吟」に倣って作られた。独楽吟は「たのしみは」で始まる和歌を並べたもので、後世にも読み継がれた。

    同志らが集って、千楽会を組織。「人の世の悲みと、憎みと、怒りと、恨みとをしばし忘れて、事に触れ時に臨み、喜ぶべきこと楽むべきことどもを拾ひ上げ」、1000首集めて歌集にした。

 有名無名、さまざまな人が加はってゐる。一人で何首も載せてゐるものや、同じ苗字の人がまとまってゐて、家族で詠んだらしいものもある。

 笹岡末吉の一首、「たのしみは産土神に掲げたる寄附金札を眺め見るとき」が好き。お祭りや社殿の建て替へなどのときに、神社が氏子に寄付を募る。集まった寄付金は金額とともに掲示される。誰がいくら寄付したか、つい気になって見てしまふ。高尚な趣味ではないが、ひそかな楽しみといったところ。

 本にまつはるものも多い。次はそのごく一部。

 

 伊丹小夜子に

 たのしみは髪を洗ひてヴエランダに朝日あみつゝ書をよむ時

 太田秀穂に

 たのしみは書斎の整理なし終りいと善き書(ふみ)を見出しゝとき

 織田善雄に

 たのしみは苦労の末に書き上げし論文しみじみ読みかへすとき

 筧克彦に

 たのしみは神の授けしふみを執り我としもなく書きしるす時

 建部遯吾に

 たのしみは著論(ふみ)書き了へて序をそへて筆をからりとおきにける時

 武富秀文に

 たのしみは書よむごとに幾何のしらざることを知りてゆくとき

 上田伊都子に

 たのしみは望み久しき新刊の書をやうやうに求め得しとき

 柳原義光に

 たのしみは気に入らぬ客人(まろうど)早くたち去りてひとりしづかに書(ふみ)をよむ時

 浅野梨郷に

 たのしみはめづらしき本みつけ出しおのが所有となし得たるとき

 佐藤孝三郎に

 たのしみは古の書読みすゝみ心心と相触るゝ時

 

 

 

 

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甘露水を授ける十天上王神

 『甘露水と共に』は宗教法人おうかんみち発行の小冊子。昭和54年11月初版発行、平成元年10月改訂3版、13年6月新改訂発行。

 甘露水を戴いた方々は、常に座右に備えるべきもの、とはしがきにある。教理や御祭神について解説されてゐる。天理教や日本神話と重なる用語や履歴を持ってゐる。

 御祭神は「三社三棟の親神様」と呼ばれ、十天上王神・月日大神・岐美大神のこと。十天上王神が主宰神で、神々の中の元親神。昭和12年12月23日、教祖の根株甘露台(山田梅次郎)に天降った。山田は中山善兵衛(中山みきの夫)が前生。甘露台を通じ、甘露水を授ける。

 月日大神は中山みきに天降った神。伊邪那岐之命・伊邪奈美之命は月日大神が人間をつくるときに種と苗代となる役目を司った。この人間創造ののち、知恵の仕込みと文字の仕込みが行はれた。

 教祖が敗戦を予言するなどしたため、教団は戦時中、思想取締で弾圧され、解散を命じられた。

 後を継いだ前教主、江上寿胤(ひょうたんの木)の夢枕には中山みきが立ち、巻物と小判を手渡す。以来、前教主のもとには神のお知らせが多くなったといふ。

 甘露水とは何か。

甘露水は無形ではありますが、皆さん一人一人の心の味によって、暖かく感じられた方、さわやかに感じた方、金銀の光が滝のように降って来るのが見えた方等いろいろであったかと思います。

 と、各人によって違ふと説明されてゐる。神種である甘露水を大切に育て、「素性のよい用木」に育てることが期待されてゐる。

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神様に魂を入れる男 

 不思議で素敵な記事を読んだ。

 『旅の友』は名古屋市の中部旅行協会発行。昭和6年2月号の第5年第2号に、「神様に魂を入れる話」が載ってゐる。筆者は目次では弓谷一郎、本文では弓谷一三。

 8月に伊豆の西海岸、土肥を訪れた筆者。農家に何日か滞在した。そこで出会ったのが60歳くらゐの男。

行商人でもあるやうな、大きな風呂敷包を脊に、茶の中折帽を被り、古い洋傘を杖にして、私の宿を訪れた男があつた。 

宿の人にはなれなれしい様子に行商人かと思つて居たら、おかみさんの話に彼は「神様に魂を入れに来た」のだと云ふ。

 

 部屋の隅にお宮があって、男はひと月前にそこにご神体を収めただけで帰っていった。魂はまだ入れてゐない。だから拝んでも役に立たない。魂を入れてから拝めばご利益がある。周辺の二、三軒にも同じやうに魂を入れるのだ、とおかみさんの説明。

 筆者が行者かなにかかと聞くと、さうではないといふ。何かを信仰したり、修行をしたりはしないといふことか。男の様子を見ても、宗教者らしい感じはない。

三度三度の食事を済ますと、ゴロリと横になつて、午睡もすれば仮寝もする起きて居れば煙草を吹かしては、何事か空想でもして居るのか黙々として火の気のない、居室の夏の炉辺にあぐらをかいて時を費す、

 6日たって、筆者から初めて声をかけてみると、男はこの商売について説明してくれた。

「…魂を入れるには先づ、空がよく晴れ渡つて、一片の雲もなく、而かも月のない星あかりの夜、丑満つ時に四辺に灯火のない時を見計つて、身体を清め、御祈祷をして魂をお迎へする…」

 少しも雲のない日など、ひと月に何日もない。それで何日も天候を見てゐたのだといふ。その日の11時、ついに魂を入れると宣言し、支度を始める…。

 男の説明によれば、埼玉出身で深川に信者?がゐる。西は熊本から北は弘前まで、全国を回ってゐるといふ。

 全国を巡って、神様に魂を入れる仕事。天気が条件に合はないときは、何日も無料で宿泊する。その間は特に何もしない。不思議で素敵な商売だ。

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