福良竹亭を訪ねてうんざりした城戸元亮

 『碧山人 自叙 城戸元亮小傳』は発行所などを示すものなし、あとがきは昭和42年10月。本文40ページに写真、年譜などがつく。毎日新聞社会長を務めた城戸元亮の自伝的な文章を集めたもの。『日本談義』『五十人の新聞人』『動向』などのものを収録。短いけれど、昔の記者生活を偲ぶことができる。

 明治14年熊本県生まれ、京都帝大卒。明治40年、大阪毎日新聞入社。京都支局長の福良竹亭を訪問した際の文章がある。

実にむさくるしいあばら家で、玄関に入ると、障子は破れはてて見るかげもない。それを、押しあけて現われたのが、お粗末などてらを着用したぶくぶく太りの福良氏であった。これが、天下の大記者の住居と風貌かと、事実、私はうんざりして新聞をよそうかと思ったほどだった。

 家はぼろぼろ、冴えない風貌で、新聞記者を辞めようかと思ったほどだった。ところが仕事になれば一変し、弦斎仕込みの文章を書き、出入りの官界政界からも畏敬された。

 当時の記者気質の愉快なことを回顧する。

私が新聞社に入って十年ぐらいの間は、新聞記者といえば、新聞が非常に好きな者か、頭が高くて人の前でペコペコしたくない者、それでなければ、新聞でなければ飯の食えない者ばかりであった。

 夏などは素っ裸で肩には濡れ手ぬぐひ、煙管を喫みながら仕事をする人もゐた。

 あとがきは息子から見た城戸評。学問の話は好きだが、金の話はできなかった。「人の噂や自分の経歴談なども口にしたことがありません」。父の仕事は他の人から伝へ聞いたといふ。