有元英夫「おかずがなければ御飯はたべられない」

 『俗名さん』は有元英夫著、有元英夫遺稿刊行会発行、昭和35年6月発行。有元は明治20年2月岡山県生まれ、昭和34年6月没。

 遺稿刊行会は家の光協会内に置かれた。『家の光』は農業者向けの雑誌で、月刊誌として最大部数を発行したこともある。有元は大正末、その創刊立案、計画に当たった。

 学生時代から新聞や雑誌に興味があり、乱読したり投稿したりしてゐた。東京朝日新聞への入社を希望してゐたが、見込みがないと分かって断念。上海日々新聞社、末永節の遼東新報社などを経て、産業組合中央会に就職。従来の興味を生かし、通俗雑誌を発行することにした。

 本書第2部はその回顧録。「大衆雑誌は、頭を休め、新しい空気を吸うために散歩する公園のようなものだと思う」など、編集の心構へも論じてゐる。

 内容について、農協の宣伝記事と一般記事の割合についても一家言ある。

 農協記事は主食の御飯で、その他の記事はおかずのようなものだ。おかずがなければ御飯はたべられない。それも同じおかずばかり毎日たべさせられてはあいてくるから、マンネリズムにおちいらぬ程度に工夫をこらすべきだ。

 読書論などではよく読書の仕方を食事に例へるが、このやうに編集方針も食事に例へてゐる。

 実は第2部は遺稿集の2、3割。大部分を占める第1部は有元の民俗学関係の論文集になってゐる。「農業の始原」「稲作と鶴の伝説」「言葉から見た農業」「民謡と盆踊り」「肥料漫談」などのタイトルが並ぶ。書名と同タイトルの「俗名さん」は、明治維新後に名前を付けることになったお坊さんが種切れになって、位牌に書いてあった俗名といふのをそのまま名字に転用してしまったといふ話。3ページほどの短いもので、著者と直接関はりのあるものでもないが、なぜか書名に採用されてゐる。

 「神社と古俗」は、神社や関連する事物を民俗学的に考察したもの。宗教学よりも合理的な解釈になってゐる。神社の発生は、食料の貯蔵庫だといふ説を唱へる。

貯蔵物を外敵とか、部落民のせっ盗などから護るためには、人間の力だけでは不安を感じ、神格化された祖先の神威の加護が必要となったので、そこに超人的の氏神が祭られるようになった。

 神を祭るのは、食料を守るための権威づけとして必要だったからだと論じる。しめ縄も現在は神聖なものとされてゐるが、もともとは測量のための実用的なものがのちに神聖な意味を帯びるやうになった。神前の鈴も、熊や猪を警戒して鳴らすもの。神様への挨拶などといふことには触れてゐない。

 稲荷神社の起源は「突飛なこじつけになるかもしれぬが」と断った上で、大陸の風習が伝はった礼拝堂ではないかといふ。ご神体がさまざまであること、鳥居が日本古来の白木ではなく赤いこと、イナリはイノリの転化であること、他との縁組を嫌ひ稲荷を信仰する狐筋は異民族だったのではないか、などと縦横に論じてゐる。