辰野隆を心の拠り所にした越田辰次郎

 『藝林』は芸林社発行、昭和39年6月発行号は第31号。2月28日に亡くなった仏文学者、辰野隆の追悼号。歯科医の越田辰次郎が辰野の思ひ出をつづってゐる。

 初めは辰野家の女中、おさくさんが出っ歯の治療にやってきた。それから夫人や辰野本人も来院した。越田は昔から読書が好きで、辰野のことも知ってゐた。親交を深め、非常に傾倒するやうになった。

いつとはなしに、私は辰野先生を自分の生きる心の寄りどころにするようになっていた。(略)先生のことを思い出すと、急に暗い心も晴れるのだ。そして総ての目度を先生という大樹に標準の尺度を当てて自分を計って安心するような気持になってしまった。

 越田が同人雑誌を発刊したいといふと、創刊号から書きたいといって協力した。それがこの『藝林』。同人は伊東欣一、田辺子男、神田明神の大鳥居宮司、鈴木長三郎の5人。原稿のやり取りなどの交友や会話の様子がこまやかに描かれてゐる。辰野邸は米軍将校が使ってゐたので、蔵書の半分を預かって、許可を得て読書をしたりしてゐる。

 同人の一人、田辺も思ひ出で、辰野が大の愛国者で涙を溜めながら憂国の言を述べたり軍歌を歌ったりしたことを回想してゐる。米軍将校らは家ぢゅうペンキで塗りたくったので落とすのに苦労したといふ。

 ほかに石田弘二の小説「アプローチ」が載ってゐる。書店でアルバイトをしてゐる伊藤が店主から、親戚の小林青年の様子を探ってほしいと頼まれる。学生運動に関係して、父親が困ってゐるのだといふ。

 小林青年が象徴天皇制について、自分の考へを語る場面が出てくる。

人間天皇は消滅する所か、今後もますます連綿としてつづくことだろう。そして我々新しいイデオロギストが立止るべき点はまさにここにある。つまり、我々も又、人間天皇の神話をつくることによって、天皇と共に歩んでゆかねばならない(略)自分達の目指す人間天皇は、日本民族の祭の象徴としてです。

 人間天皇になっても神聖性は失はれず、政治に関はらない祭り主と捉へてゐる。

 

 ・ビッグコミック巻末のちばてつやの漫画、「悪書」の焚書がカラーで描かれてゐる。手塚治虫の目の前で、漫画がメラメラ燃やされてゐる。