松井翠声「この雑誌は正に反動である」

 『旅の装い』は交通道徳協会発行。第2号は昭和33年7月発行。ちょっと変はった名前だが、旅行や交通機関の記事や随筆を載せる。ファッション雑誌ではない。

 漫談家松井翠声が「旅に道徳するのは反動である」を書いてゐる。本文では“反動”表記。松井は発行所が交通道徳協会であることにかみつく。

日本では政治家は勿論教育家までが道徳教育に反対しているのだから、この雑誌は正に反動である。

 切角日本が此処まで、てんやわんやになって、殺人も自由だし、犯罪人は忽ち人権を認められ、正しい事が正しいと解るまで何年もかかり、真理だの良識なんてものが、その都度世間の情せいで移り変っても不思議に思わないところまで、こぎつけたんだから、もう少しほったらかしておいて貰いたいと思う。

さすがに殺人は自由ではなかったと思ふが、戦後の自由謳歌を揶揄してゐる。

腕力のある男は、改札係をはり飛ばして無賃乗車をする。車内に入ったら自席の隣りと前の席の二人分のところを自分一人で占領して、楽々と寝たり起きたりしながら旅をする。

 旅行者の自由を描き、逆説的に道徳の大切さを思ひださせたのだらう。

平野威馬雄は「随筆 『そびれ』について」を書いてゐる。平野の奔放ぶりはウィキペディアなどでうかがへるが、戦後に松戸に越してからも衰へてゐない。

市長がボスと組んで街に競輪場をもってきた時も、そんなものより図書館や公会堂をつくれと運動したり、むりやりに市民から金をあつめて忠霊塔をつくろうとしたのを反対したり、リコールを叫んだり、外国映画の招致運動など、ジャンジャンやったので、排他的で昔かたぎの町の古老たちは、「山から赤を追い出せ」と、とんだ山狩りみたいなことをした。

 一人で社長・記者・会計・配達をするローカル新聞が味方について、市会議員選挙出馬の憶測記事にした。松戸の飲食店の訪問記事も書かされた。タイトルの「そびれ」とはアルコールの飲みそびれのこと。実は平野はこの年になるまで、ほとんどアルコール類をたしなむ機会がなかった。それが最近ジンを飲むやうになった。酒嫌ひだったのに大違ひだと妻や子供が言ってゐる、といふ。娘の平野レミもその輪の中にゐたかもしれない。