奥村喜和男に万年筆を逆手に持って迫られた堀川直義

 


  『ブン屋紳士録』は堀川直義著、秋田書店、昭和41年5月。表紙カバー・カット関孝。扉に「面接博士の面接メモ」とある。堀川は明治44年京都生まれ、京大心理学科卒。朝日新聞記者。面接に関する著書多数。

 本書は知り合った人々の逸話集。名前だけの人も含めて567人に及び、人名索引もついてゐる。経歴が面白いので出てくる人も興味深い。代々御所につとめ、父は宮内省の役人、堀川儀一郎。賀陽宮家に仕へ、著者は子供の頃から宮家に遊びに行った。佐紀子妃のおつきが関口久能で、親族の関口泰新村出らが出てくる。

 朝日時代は長谷川如是閑に会ってゐる。愛用の杖をもらったり、時代に合はないと言って泣かせたりしてゐる。

 

「キミそういうのか。こないだ丸山真男も、同じことを言った」心ないことを言ったと後悔した。

 

  戦時中は情報局担当。大政翼賛会にも出向した。情報局歴代局長、関係者の印象が描かれる。印象に残ってゐるのは奥村喜和男次長。

 

そのうちに満面朱をそそいだようになった奥村は、手もとにあった万年筆をさか手にもって、わたくしに迫ってきた。暴力に自信のないわたくしは、飛ぶようにして次長室から逃げ出した。

 

 朝日では調査研究室に所属。あまり語られることのない調査研究室の仕事、人物のことがわかる。

 文学者との交友では、平野謙中央公論に紹介してゐる。広津和郎から教はったノイローゼ克服法がいい。それを真似した著者のことば。

「勝手にしゃがれ、雑誌の一冊や二冊、白いページができたっていいじゃないか。新聞社の一つや二つ、つぶれたって大したことはない。どうにでもしてくれ」と観じて、ヘソを天に向けて、大の字に寝るのである。 

  新聞社の一つや二つ!

f:id:josaiya:20200409142133j:plain

f:id:josaiya:20200409142153j:plain

f:id:josaiya:20200409142215j:plain