芹沢雅子と三笠宮の世紀の大問答

 

 初めから終はりまで全て面白かった。芹沢雅子『ぞうきんと三笠宮』(昭和42年10月、原書房)は100冊選書の38。カバー袖にあらましが書いてある。

敗戦の混乱の中で“人生に今一度の生きがいを”と御殿場から上京し、練馬の一角にボロ屋を求めた35才の未亡人(著者)は、たちまち飢えと貧困に喘ぐ、地を這う人々の群れに取り囲まれてしまう。未亡人たちにぞうきんの内職を与え、それを売り歩く事業を思いついた著者は、日本古来の女のシンボル“ぞうきん運動”によって日本に平和をと願うのであった。 

 内職希望者には、最も困ってゐる人たちを選んだ。天理教の菅さん、話せないほど空腹の佐藤さん、十一面観音のやうに子供をぶらさげてゐるお芳さんらが集まった。

 ボロ布の調達もぞうきんの販売も行き当たりばったり。全く売れないこともあれば、大口の取引先がみつかることもある。 危機に見舞はれても行動力で突破する。

 ついに金策ができなくなり、何の伝手もないのに高松宮に寄付を頼みに向かふ。同じ電車で見つけた新聞記者風の男性と同道することになった。

「それに、三笠宮は戦災にもあわれてビンボーだそうですが、高松宮は依然として大層なお金持と聞きますから…」

そこまで言うと、ふいに相手が立ち止まった。私は意気込んで後を続けようとすると、その人は私の方を向き、少々困った顔つきで、恥かしそうに言った。

「あのウ、実は、私はその三笠宮ですが……」

「えーッ!?」 

 三笠宮に気に入られ、 奇妙な交友が始まる。ある時、宮邸で庶民の暮らしぶりを教へ、三笠宮は不自由な生活を訴へる。

ぶっつづけに夜の九時まで続けられた二人の会話こそ、誇張でなく『世紀の大問答』だと思うけれど、到底全部を文字にすることはできない。 

 本書に描かれた一部を読むだけでも胸がざはざはする。

 宮から名刺をもらひ、紹介してもらった酒造屋を訪ねて京都に行く。ここからがいはば第二幕。T酒造は何週間も決済を引き延ばす。芹沢はその間、京都の寺社を巡ってぞうきんを売り歩く。門前払ひが続き宿代が払へず、餓死寸前になったり、一家心中の親子を助けたり、お金のことで騙されたりと波乱万丈。「大体、京都人は私には苦手だった。扱いにくく馴染みにくい」といふ愚痴が漏れるのもうなづける。

 ほかにも悲喜なひまぜの事態が出来するが、とても書ききれない。上海時代の愛人に会ふところで身の上を振り返るので、それを引用する。

 

東海道をボロ引き摺って歩き、高利貸しを踏み倒し、変な朝鮮人に二十万騙しとられる手伝いをしたり、伏魔殿みたいな本願寺の納所とわたりあい、はては国鉄を手玉にとったなんて、いくら言ったってSは本気にしないに決まっている。

 

 最後は京都に行幸した昭和天皇をめぐる京大事件に遭遇、直訴状をしたためる。「天皇陛下聞き給え」。

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