「頭山の身体は健体会に引受けてもらふ」

 胃腸の調子が宜しくなくてつまらない。こんな時鳩尾加圧器があれば。15円て今だといくら相当か。
『鳩尾加圧と健康』(林式健体会本部発行)は昭和13年9月25日印刷、10月1日発行。手元の物は昭和15年10月10日発行の訂正15版。パン一で鳩尾にベルトのやうな物を付けた偉丈夫が微笑んでゐるのが表紙。帝国発明協会実施部推薦とある。チラシが二枚。「鳩尾加圧器の使用法」を読むと、直接皮膚の上からでも、下着の上に装着してもいい。「鳩尾加圧器何故諸病に効くか?」は雨宮保衛前慶応大学教授・國學院大學教授の執筆。血流を活発にし、臍下丹田に力を鍛錬でき、円球内にはラジウムを包含し、「ラヂウムエマナチオン」といふ有効ガスを発生するといふ。
 林式健体会の創始者は林章樹といふ元岩国藩士。明治35年に洋行。当時82歳。息子が会長の林芳樹で、済生会病院・神奈川県保健衛生事務・明治大学野球部等の嘱託。昭和10年10月、日本治療師会理事。PBC鳩尾加圧器は親子で発明したらしい。
 本文では、諸名士がPBC鳩尾加圧器の効能を絶賛してゐる。表紙裏には国司精造陸軍少将。全国民が本器を愛用せよと言ふ。少しめくると体操をする荒木貞夫前文相。ラジオ体操の時はいつも着用し、調べ物の時は特によく効くといふ。
 林式健体会三信条は「一、人は健康なるべきものなり 一、人は善性なるべきものなり 一、人は楽天なるべきものなり」。全く異存はないが、思ふやうにいかないときだってある。そんな時こそ鳩尾加圧器。頭山翁は林式健体会顧問として、林芳樹会長と並んで写真に収まる。 

 鳩尾加圧器で動脈硬化を治す

 若い頃はわしも随分乱暴に身体を使ひ、少々の無理はいつも精神力で押し通してきた。四十年前神経衰弱を患つてその後は少し自重するやうにしてゐる。が、まだまだ人に負けぬだけの活動はやるつもりだ。
 もつとも先年動脈硬化の気があつて、林君に健体術を施してもらつたことがある。治療の結果すぐ胸のつまつた感じは無くなるし、脳がはつきりして来た。また頻繁に小用に立つたものだがそれも忘れたやうに治つてしまつた。健体術の効果まことに驚くべきものがある。
 そこで、わしももう八十の老齢ぢやが、この動脈硬化をとつて貰つたので、今度は更に生れかはつたつもりで、もう八十年生きねばならぬ、と人にも語つたことである。頭山の身体は健体会に引受けてもらふつもりぢやが、林君の健体術なら癌でも治るとわしは思つてゐる。
 爾来、わしは健体会の顧問をやつてゐるが、最近また鳩尾がはつて来て、ミヅオチでなくミヅダカになつてしまつた。手足のしびれも感じる。それらがみな動脈硬化のためであると分つた。
 そこで、林君が二十年来の治病の体験から発明した鳩尾加圧器を使用してみたが、まことに工合がよく、ミヅダカがほんとのミヅオチになつて来た。無論、手足のしびれも除れたため、身体の調子も、脳の工合も非常によろしい。
 小腹を落として臍下丹田をはかることは、肉体上はもとより精神上肝要だとはかねがね考へてゐたが、図らずも、鳩尾加圧器帯用によつて、期せずして臍下丹田を得られたのは甚だ愉快である。
 今日でも、わしは始終鳩尾加圧器を身体につけてゐるが、取つけが至つて簡単で、而も効果が顕著なのだから、これこそ国民保健の要器として、全くうてつけぢやと思つてゐる。
 わしは話も下手で、また原稿なぞいふものも書けぬが、とにかく動脈硬化に関する限り、PBCの信者だと公言するを憚らぬ。この鳩尾加圧器こそほんたうの国民保健ぢや、世界的大発明だとわしは思ふ。


 頭山翁がこれだけ褒めちぎってゐるのだから、プラセボ効果でも治りさうだ。
 一条実孝公爵は「鳩尾加圧器で肚を作れ」。日本精神の上からも国民保健の上からも、肚を作るのが緊急事。それにはこの鳩尾加圧器である。近衛首相にも奨めるといふ。和魂洋才の精華といった趣。
 巻末には林式健体会顧問と会員の一部が列記されてゐる。顧問は一条・頭山・門脇壮介・久原房之助・福原俊丸・遠藤柳作・荒木貞夫・末次信正。
 会員は数十名居て、久布白落実・小酒井五一郎研究社長・佐藤義亮新潮社長の名もある。