蜘蛛の糸―鎌倉宮の岩越元一郎

 『あゝ八月十五日 終戦の思ひ出 第一集』(八幡関西師友会、昭和32年10月10日発行)は、よくある終戦の回顧物の様な書名。だが刊行元の「師友」でピンと来た人も居る通り、安岡正篤同人の証言集。巻末に700部限定版とあり、スタンプで番号を押してある。手元のものは№0172。其の中に、岩越元一郎が「老首相の遺言」を寄せてゐる。岩越は終戦の前頃から、産業報国会講師、参謀本部嘱託、文部省での研修などを務めながら、鎌倉宮に出入りし、三日間の断食祈願もした。5月29日の大空襲での家屋・蔵書の焼失ののち。

 今考へれば気が狂ったと言へるが、天皇を奉じて大本営を九州にうつし、薩南から上陸する敵を討ち、兼ねて、朝鮮、満洲との連繋を密にしなければと言ふ御神託を、鎌倉宮のおこもりで霊示されて、そのことを有力な人々に一刻も早く知らさねばならず、同時に、それが本当か否かを他の神啓者からもきかねばならぬと考へて人々の召集にかかった。先づ求めに応じて鎌倉宮に集った人は、元イタリヤ大使だった白鳥敏夫氏を始めとして、鎌倉宮の崇敬者、北辰電気の社長清水荘平氏、読売論説委員長井沢弘氏、皇道哲学の佐藤通次博士、伝教大師研究の竹内大真医学博士、鎌倉宮宮司小松氏、みくに会長今泉源吉氏、高梨勝氏その他数名であったが、さらに箱根の須雲川の酒井氏のたてた、日本精神道場に集っていただき、大阪方面から来た有力な神がかりの婦人の啓示をきくことになった。皇族の一人が加はらねばならぬと言ふので、三笠宮にちかづきのある高木猛中佐が、宮をおつれする約束であったが、八月十日の混乱の最中でみえられなかった。時の首相、鈴木貫太郎首相にも連絡はしたが、それは不可能であった。

 なかなか凄いメンバーである。白鳥元大使は方々で見る。戦時中にも「本物」の神がかりがゐたのがわかる。名前は書かれてゐないが、石上神宮に関係してゐたともある。これから筆の戦いが始まると言ふ御神示が下ったが、結局九州大本営に関する話は出てこなかった。岩越は箱根湯本の三昧荘(当時の陸軍病院)に軟禁されたが、憲兵隊本部に連行されたのち釈放された。
 この頃、鈴木首相邸を訪ねたが留守。秘書の長男に会って辞去した。翌朝、民間翼賛連盟の同志、佐々木盛郎らが同邸を襲撃し焼き払う事件が発生した。首相を守る側についたのが親友の幡掛正浩らだった。みんな真剣だった。

 

 大和民族の大志は、たとえそれが蜘蛛の糸のごとく細くなっても、決して断ち切られることなしに、やがて民族の思ひを結んだ大綱によりあはされる時がくるだらう。祖先の誰人も経験することの出来なかった未曾有の歴史を経て、燦然たる日章の国風が世界にそよぎ始める日まで、我々は、我々に与へられたささやかなひもろぎの道をすすんでゆき度いのである。