白々教の出現も日本敗北も予言した鄭鑑録

 『人権十年』は津田騰三方にあった人権十年刊行会発行。発売元は新小説社、昭和33年11月発行。函は権の字が木+又の略字になってゐる。
 64人の弁護士が文章を寄せてゐる。田多井四郎治「法と道徳との淵源について」は題名は普通だが、中身は五十音の音義論で異彩を放ってゐる。林逸郎は「戦犯」論。
 長崎祐三が「白々教に思う」を書いてゐる。 
 長崎が朝鮮で検事をしてゐたときに検挙したのが白々教事件だった。教主の全竜海のもと、約360人が絞殺された、超世界一の殺人事件だった。「検証の鍬を一鍬うちこむと、そこから死体が、続々出てくる」。死体から胎児がはみ出してゐて、棺内分娩の実例だといって法医学者が喜んでゐたといふ。
 白々教に入るには欲を捨てねばならず、所持金は全部没収された。信者は働かずに食へ、不死の生活を送れると言はれた。
 朝鮮の古書、『鄭鑑録』に「人求之両白」とあるさうで、これは白々教が人類から悩みを取り除き、幸福を与へる予言だと触れ回った。
 終戦後、米軍の手により京城刑務所につながれた筆者は、朝鮮人と同房になった。彼は、日本の敗北は予言されてゐたといふ。鄭鑑録に「日は東海より出で、西山に没す」とある。これは日本が東洋を征服し、西洋によって敗北する謂だといふ。

 私は、真剣に聞いたことが、おかしくなり、迷信を打破することが、如何に困難であるかを知った。無知と迷信の追放は、人権擁護の前夜の問題であらうが、これがなくしては、朝鮮における人権擁護の問題は、解決されない。

無知な朝鮮民衆は、鄭鑑録の予言は、的中したと信じていた。私は、朝鮮に、犯罪が多く、従って、人権が蹂躙されるのは、犯罪を行う者が無知で、道義心が、稀薄な事によるのは勿論であるが、それ以上に、被害者が無知で人の甘言に乗じやすく、迷信を信ずるからであると思うた


・日曜だったかの日経新聞張競氏が川端康成のことを書いてゐたけれど、松村梢風になってゐた。これ位では訂正出ないのか、と思ってゐたら、やっぱり出た。