山田忠正「一大国際歓楽境をつくれ」

 『東京公論』は大東京協会発行。昭和9年8月号は第6年第8号。廃娼問題特輯がある。

 主幹の山田忠正が「吉原、洲崎を解消し新たに一大国際歓楽境地区をつくれ」を書いてゐる。

 山田は売笑婦そのものはなくならないといふ。

極言すれば、売笑婦を無くすれば文明はなくなるかも知れない。文明は没落するかも知れない。だから売笑婦を無することは出来ない

 そして新しく東京湾の埋め立て地に、国際大歓楽境を建設する。

世界的な一大歓楽境のデパートとし、東洋の大魅惑場たらしめる。そして全世界に宣伝して世界の遊客をここに集中させたいと思ふ。これが実現した時、大東京は全亜細亜のリーダーとしての繁栄を確立し、今に幾倍する繁栄を招来し得るのである。 

  外国へ行ったとき、「ニコニコして迎へてくれるのは売笑婦だけだ」「富士山と芸者ガールだけでは野獣性の外国人は来ない」など、売笑婦は国際的に有用な存在だと称揚する。パリが繁栄してゐるのは国際歓楽境があるからで、日本もこれに倣ふべきだ。鎖国状態を脱して、国際的に発展すべきだと説く。

東京市民は断じて鎖国的考へを捨て去り、世界一の国際人となると云ふ常識を確立して、大東京の大繁栄を来すべき国際歓楽境をつくると云ふ大認識と果断とをもたねばならぬ。 

 高原一夫といふ人は「東京の氾濫 銷夏漫言」といふ随筆を寄せてゐる。とかく東京は人が多い、多すぎるといふことを繰り返す。

人の多いといふことが一切の東京を異常なものにし怪異なものにしてゐるとさへ云へる。インフレーション、オブ・トウキョウといふ奇妙な現像が東京を特色づけてゐる。 

 夏になると、東京人が地方に拡散する。ここでは、その悪影響を特筆する。

 登山癖、スポーツ熱、旅行病、もろもろの都会病がそのバチルスが活躍する。それは自然を冒瀆し、天に背き地を毒し自然な健康な地方人の生活を攪乱させる。

 随筆は、そんな東京を憂えたり戒めたりすることなく、突き放して終はる。

 外に内に、今や東京は踊りつゝある。踊れ、踊れ、インフレ東京。踊つて踊つて、踊りつかれたなら五百万の大集団の中から何かきつと新しい生活、新しい生命が飛び出すだろう。

左様なら。

 

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工藤茂三郎「天皇は即ち太陽なり」

 『日本之由来』は」工藤茂三郎著、中陽館発行、大正6年4月発行。17ページの小冊子。第1章「大日本之由来」、第2章「明道之要旨」からなる。 

 工藤は徳島の人。天児屋命の子孫といふ。独自の暦、中正暦で知られる。

 明治天皇五箇条の御誓文で「天地の公道に基づくべし」と仰せになった。天地の公道とは、天体の運行である。太陽は天照大御神である。

太陽は大神の霊体にして、時間は大神の行為なり、大神の行動は、日夜休止なく、宇宙に照臨して、釐毫の空隙を剰さず、 

 

太陽滅せば万物滅す、即ち太陽は高祖なり、天皇は天津日嗣なり、神人合体せる天皇は即ち太陽なり、神なり、

 太陽は休む間もなく働いてゐる。天皇は太陽の子であり、太陽そのものである。さうであれば太陽の運行を基にした暦も正しいものでなければならない。

暦本が大道に協はず、斉元の基に背ときは、仮令悪意に出でざるも、利己心に藉られて、国民皆な嘘偽を以て相交り、互に詐妄を以て非理に走るに至るや、明かなり、為政者は自ら嘘偽を以て上に立つて、而して人民に対し信を守れと云ふは、恰も遊冶郎が他人の品行を責むるが如し、

 暦が天地の大道にのっとってゐなければ、国民は嘘をつき、だまし合ひ、道理を無視することになる。政治家が嘘をついてゐるのに人民には信義を守れなどといふのは、いつも無責任な遊び人が他人の行ひを非難するやうなものだ。

 何事も太陽の運行により始まる。季節が巡るのも男女が子をなすのも太陽の働きがもとになってゐる。

 

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乾政彦「七には強く何物かを暗示するらしい力がある」

 


『七を貫く』は乾政彦著、乾法律事務所発行。昭和11年11月発行、12年1月再版。表紙には磨磋秘庫叢書ともある。マサヒコと読むのだらう。

 乾はある日、友人の江橋活郎から『辯護士道の七燈』といふ本を贈られた。英国判事のエドアード・パリーが書いたもので、江橋と江木衷が共訳した。乾は読み終はったあと、ある感覚に囚はれた。七といふ数字に、一種の不思議な魅惑を感じた。

 

この数字には、何だか神秘的な、強く何物かを暗示するらしい力があるような気がしてならず、古来、この数字に付纏つて来た、さまざまの因縁や、伝説などについて、それからそれへと、取留もなく、冥想の翼を拡げて見たまでのことである。

 

 本書は乾が古今東西、七にまつはる物事を収集した記録。七と時空に始まり、七と地理、七と物理、七と動物、と七づくし。乾が弁護士だからか、七と法律の中で更に七と憲法、七と皇室典範…に分かれてゐる。七草、ななほしてんたう虫、各地の七不思議、七生報国七本槍七卿落ち…などなど、雑然と載ってゐる。中には、こじつけのやうなものもある。六法全書のうち、破産法は独立させて七法全書にすべきではないかといふ。江藤新平の佐賀の役は明治七年。西郷隆盛と七時間密談した。入獄したのが四月七日。それから七日目に梟首された。

 最後には、七の魅力の淵源を考察してゐる。

 

つらつら自己の心理を内省して見るに、ただ、わけもなく七といふ数に魅せられ、惹きつけられるといつたような心理的傾向があるようには到底思はれぬ。

 

 七の魅力の起源は人類に内在するものではなく、外部に存在すると結論付け、惑星の数や月の満ち欠けの日数などを検討してゐる。これだけ七にこだはってゐるのに、乾自身はわけもなく惹き付けられてゐるといふ自覚がないらしい。最初のほうでは「不思議な魅惑」を感じたといってゐるのだが。

 

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・前田利鎌の評伝。父の前田案山子は頭山翁らと交遊があった。利鎌は夏目漱石最後の弟子で宗教哲学者。大本にも紙数を割いてゐる。中に中野興之助で、おきのすけ、とルビを振ってゐる。中野與之助なのに何を見てルビふったのだらう。

出口王仁三郎「著述が一番の労働」

  『昭和』(昭和青年会発行)の昭和8年8月号に、安達謙蔵が「スポーツ亡国論」を書いてゐる。安達は前内務大臣・衆議院議員

一般学校では、運動とか衛生とかゝら考へて、スポーツはいゝものだと思つて居るらしいが、実は飛んでもない誤りである。

 マラソンなどは血液が体の下のほうに行って、貧血してしまふ。回復には二か月以上の養生が必要になる。内務省で調べたことだから信じてよい。

 

所謂スポーツ・マンと云ふ連中は、世間の人にヤンヤとはやされる事を以て、使命として居る人物であるらしい。

 毎日寿命を縮め、国家の役にも立たない。体が丈夫だから戦争に役立つといふ人もゐるが、最近の事変などでは全部だめだった。軍部の調査によるものだから信用できる…と、スポーツマンをけなす言葉が並ぶ。体を動かすなら日本古来のもののほうがいいといふ。

 「出口王仁三郎氏に物を訊く座談会」といふ記事もある。座談会といふか、記者との一問一答形式だ。

 経済問題を語る中で語る、出口の労働観が面白い。

筆を採つて働くもの、新聞やとか、雑誌を出すもの、或は本を著述する者が、一番の労働や。

 出版界隈の仕事に敬意を払ひ、その苦労を思ひやる。肉体労働は時間が決まってゐて、風呂に入れば疲れもとれる。しかし著述はさうはいかない。「一晩位寝たかて頭が癒らへん」。総理大臣の激務にも同情する。「新聞読む間も無い程忙しいんだから頭がグンニヤリなる」。

 労働時間についても一家言ある。

八時間労働やとか、六時間労働やとか云うて居るけれど、そんなに働く人は少い。八時間、時間を潰しても、働きやせん。八時間の中、二時間以上休息して居る

 8時間労働といっても、そのうち2時間は休憩時間。日本人全員が協力して働けば、毎日1時間で仕事はなくなってしまふ、とまでいふ。「心身の疲れ忘れて国の為め世のためわれは朝夕いそしむ」と謳ってゐるが、実際は心のほうはどうだったらうか。

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ハイジャックで沖縄行幸を阻止しようとした章二のバラ作戦

 『天皇が沖縄に来る日』は大城翔著、月刊沖縄社発行、佐久田出版発行。1984年4月発行。表紙には「天皇は果して沖縄の土を踏めるか?」とある。文字だけだが、裏表紙には立ち上る黒煙と炎が描かれてゐる。あらすぢには以下の文言。

 

ハイジャック事件発生!その目的は?

成田発ロスアンゼルス行きのジャンボ機が乗っ取られ、羽田空港緊急着陸した。政府とホワイトハウス間で息づまるような交渉が展開された。日米両政府を事件の渦中に巻き込んだハイジャッカーの狙いは何か? 400名の人質の運命は? 天皇の乗った特別機は?

ドラマは以外な結末を迎える――。

 「以外」はママ。扉絵はジャンボ機を背景に、顔を隠したテロリスト風の人物、火炎瓶を投げようとしてゐる者、時計の文字盤が描かれる。装画は安室二三雄。

本書は沖縄の本土復帰13周年に際して計画された、天皇の沖縄行幸を阻止しようとする小説。主人公の章二は北海道出身の元自衛官。沖縄で不発弾処理などをしてゐたが、隊内の皇民化教育、右傾化する政治状況に危機感を深め、沖縄の人々と交流し、彼女もできた。彼女の母は旧日本軍に殺害されたことを知り、自衛隊をやめて上京した。自衛隊天皇の来沖で士気を頂点に高め、反動の道を進み、歴史を逆流させようとしてゐる。戦後にけりをつけ、沖縄を忘れようとしてゐる。

 章二は作戦のため、ゲリラ戦や公安事件を研究した。

章二の部屋はこうした研究書や文献、推理小説などがぎっしりつまっていた。この部屋にはいった瞬間、誰でも「革命の匂いがただよう部屋」であることを感じ取るだろう。そのため章二は、夏子にさえアパートを教えなかった。秘密の部屋でしか完全犯罪は成功しない。

  警察は過去最大の人員を沖縄に投入する「菊作戦」で厳戒体制を敷いた。これに対し章二は自らの作戦を「バラ作戦」と命名行幸阻止のため、ハイジャックを計画した。それは警備の裏をかき、米国を巻き込んだ「史上最大の作戦」だった。

 警察、県知事、新左翼らの思惑を交え、事態が進展してゆく。右翼も登場し、行幸賛成を訴へる。

賢明な県民の皆さん。一部の国賊の扇動に乗ってはいけません。天皇陛下の初めての御巡幸を心をこめて歓迎しましょう。各家庭に、日の丸をかかげ、沖縄全県下を、日の丸の旗で埋め尽し、沖縄県民が日本国民であることを今日こそ正々堂々と主張しましょう。 

 あとがきで著者が「事実とフィクションが渾然一体となっている」と記すやうに、過去の警察の失態、ハイジャック事件などが参考にされてゐる。米兵が金や女ですぐに協力するのはご都合的だが、犯人と管制塔とのやりとりなどは緊迫したものがある。

 

朝日新聞の100年読者たち

 面白く読んだ。『ありがとう100年読者 エッセーと100年読者お名前』は朝日新聞大阪本社発行。編集後記は2000年1月25日。

 朝日新聞の創刊120周年、21世紀を迎へるにあたり、100年読者とエッセーを募集した。

 そのうち最優秀賞1本、優秀賞3本、入選218本、合計222本のエッセーを1冊にまとめたもの。紙面には執筆者の名前と市町村名だけで、タイトルも年齢も明記されてないのが惜しい。

 どれにも朝日新聞への愛情が詰まってゐる。多くは、祖父や曽祖父の代からの読者で、先祖代々の購読者。一家一族の伝統なので、自分の代で変へるわけにはいかない。また、引っ越しても朝日、嫁に行った先も偶然朝日。独立した子供や兄弟も朝日。そんな熱狂的な朝日ファンたちの生の声が届けられてゐる。

 新聞への接し方、読み方などの貴重な事例集にもなってゐて興味深い。

 岡山県のAさんの文章が象徴的だ。Aさんの家は田舎で、活字に触れる機会もなかった。しかし数分だけ、新聞紙を手にする時間があった。

それはお便所の中だけだった。都会ではいざ知らず当時の田舎では未だ今の様に白いトイレットペーパーなど無く、殆どの家庭が代用品として新聞紙を排便の後始末に利用していたのだった。B五判の大きさに裁断された新聞紙は薄暗いその室の片隅にきちんと積み重ねられていた。

  このときは地方紙だったが、学校のテストを朝日新聞の社説から出すと先生から言はれた。そこで親に頼んで朝日新聞に換へてもらった。

それまで目も通したことのなかった新聞に目を通す様になったのはその時からだった。読めない、理解出来ない。知識不足の私にはレベル高すぎて本当に面白くない新聞だった。 

  初めて朝日新聞を読んでも読めない。頭に入らない。マンガくらゐしか読むところがない。それが不思議に読めるやうになり、今では他の新聞を受け付けられないまでになったといふ。

 神戸市のBさんは子供のころの思ひ出。

用済の古新聞は貴重なもので、家庭内で使用する包装や、かまど、風呂の焚き付けには、すべて古新聞を利用したものである。

 小学5年のとき、誤って古新聞ではなく、その日の新聞を焚き付けにしてしまった。父に白状すると叱られた。

「…新聞は泣いているぞ。新聞は大勢の人が、昼夜を問わず協力しあって作った情報の集大成や。それに早朝、寒い日も、風の強い日も、大雨の日も配達してくれる人のことを思ふと、新聞を粗末に取扱ったり、足で踏んだりしては罰が当たる」

 新聞は粗末に扱ふと罰があたるほど尊いもの。だからといって普段は永久保存などせず、翌日になったら一転、燃料や包装に再利用される。畳の下やタンスの中に敷く人も。世の中の動きを知るときも、日々の身近な暮らしにも、いつもそばには朝日新聞

 高知県のcさんは学徒出陣した兄の思ひ出。手紙で、朝日新聞を送ってほしいと言ってきた。

今持って来ているのは歳時記と聖書だけなので、アポリネールの詩集とサマセット・モームサミングアップと朝日新聞を出来るだけ沢山送ってほしいとの事であった。

 父はさっそく一部を二部にふやし朝日新聞を取り、長兄が転々と移動する地に送り続けた。

 歳時記と聖書などに加へて必要なのが朝日新聞。実家から送ってまで読ませた。

cさん本人も朝日新聞の熱烈なファン。

朝日新聞をつらぬく思想、文芸、芸術に対する鋭さ、音楽への批評文どこを開いても心魅かれる記事が多く、毎日私の沢山のスクラップのためレースの如き紙をみて友人は笑う。

 切り抜く記事が多いので、切り取ったあとの新聞はレースのやうに細長い部分ばかりになってしまふ。スクラップは多くの人が実践してゐる。貴重な休日を費やしてゐると自嘲したり、ライフワークだとばかりに誇らしげな人もゐる。 

 

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斎藤至「講談社はパラダイス」

 『社風美談』は大日本雄弁会講談社発行、昭和6年6月発行。講談社についての、名士や社員、少年社員による美談をまとめたもの。

 名士たちは、原稿の受け取りなどにやって来る社員を褒めたたへる。礼儀正しい、言葉が丁寧、実直、会社の悪口を言はないなどなど、べた褒めにする。

 東京高等師範学校教授、保科孝一は「当代の偉観」といひ、小説家の野村愛正は「感心のほかはありません」、東京堂卸部主任の鈴木徳太郎は「現代の奇蹟」とまでいふ。

 何人もの人々が、社員が待ってゐる間、玄関で履物を整理したり片づけたりしてくれたといふ。それで恐縮したり感謝したりしてゐるのだが、やり過ぎだと思ふ人はゐなかっただらうか。

 社外の人だけでなく、社内の人も褒めたたへる。斎藤至は入社5ケ月未満の新入社員。

 

少しく誇張して云へば此の世ならぬ『パラダイス』と云ふ感じだ。何が本社をして『パラダイス』たらしめたか? 偉大なる社長様であり、社長様の御心を心とする六百の社員少年諸君のよき魂でなければならない。(略)

 冷静に、冷静に見たのである。だが見れば見る程輝く本社であり、美しき社員及び少年諸君の心であつた。

 

 この人だけが特殊なのではなく、何十人もの社員、少年社員が会社や他の社員を褒めたたへる。何さんは深夜2時まで働いてゐる、誰さんは何日も徹夜してゐる、あの人は忙しくて何を食べたらいいかわからなくなったので、注文してほしといふ…。読んでも読んでも「美談」が続く。一つ一つの記事は短いのに、書く人の熱量が多くてなかなか読み進められなかった。

 ある正月、避寒で別邸に行く野間清治社長から、留守宅の管理を任された小保方氏。留守宅に異常がないやうに、「側目で見るもいたはしい程の潔斎精進ぶり」。夜警の少年が深夜に水音のする風呂場の付近を見回った。そこで見たのが小保方氏の姿。

 

この寒空に真裸になつて水垢離をとつて一心に祈願をこめてをられる小保方氏の気高き姿であつた。

 

 留守宅の平穏や、社長の安寧を祈願してゐたのだらう。深夜でなくともよいのではないかと思ったが、早朝だったのかもしれない。これを記した社員は、「神にも近い真心」と激賞してゐる。

 尚、野治社長が講談社の社是を論じてゐて、その一つに「渾然一体」がある。部屋が分かれてゐるのもその妨げになるかもしれないといふ。

 

形の上には障子一重に過ぎなくても、心の上に又障子一重が出来るといふやうなこともありますから、一切の障壁を廃し間隔を撤して、壁もなければ堀もない、紙なら一枚、水なら一椀、温かい血の互に交流する兄弟の情を以て、謂はゆる水魚の交りをなす。斯うありたいと思ひました。

 

 障子があれば社員の心にも障子があるやうなもの。障壁を撤廃し、間隔をあけないやうにするのがよいとふ。コロナ禍では難しさう。