朝日新聞の100年読者たち

 面白く読んだ。『ありがとう100年読者 エッセーと100年読者お名前』は朝日新聞大阪本社発行。編集後記は2000年1月25日。

 朝日新聞の創刊120周年、21世紀を迎へるにあたり、100年読者とエッセーを募集した。

 そのうち最優秀賞1本、優秀賞3本、入選218本、合計222本のエッセーを1冊にまとめたもの。紙面には執筆者の名前と市町村名だけで、タイトルも年齢も明記されてないのが惜しい。

 どれにも朝日新聞への愛情が詰まってゐる。多くは、祖父や曽祖父の代からの読者で、先祖代々の購読者。一家一族の伝統なので、自分の代で変へるわけにはいかない。また、引っ越しても朝日、嫁に行った先も偶然朝日。独立した子供や兄弟も朝日。そんな熱狂的な朝日ファンたちの生の声が届けられてゐる。

 新聞への接し方、読み方などの貴重な事例集にもなってゐて興味深い。

 岡山県のAさんの文章が象徴的だ。Aさんの家は田舎で、活字に触れる機会もなかった。しかし数分だけ、新聞紙を手にする時間があった。

それはお便所の中だけだった。都会ではいざ知らず当時の田舎では未だ今の様に白いトイレットペーパーなど無く、殆どの家庭が代用品として新聞紙を排便の後始末に利用していたのだった。B五判の大きさに裁断された新聞紙は薄暗いその室の片隅にきちんと積み重ねられていた。

  このときは地方紙だったが、学校のテストを朝日新聞の社説から出すと先生から言はれた。そこで親に頼んで朝日新聞に換へてもらった。

それまで目も通したことのなかった新聞に目を通す様になったのはその時からだった。読めない、理解出来ない。知識不足の私にはレベル高すぎて本当に面白くない新聞だった。 

  初めて朝日新聞を読んでも読めない。頭に入らない。マンガくらゐしか読むところがない。それが不思議に読めるやうになり、今では他の新聞を受け付けられないまでになったといふ。

 神戸市のBさんは子供のころの思ひ出。

用済の古新聞は貴重なもので、家庭内で使用する包装や、かまど、風呂の焚き付けには、すべて古新聞を利用したものである。

 小学5年のとき、誤って古新聞ではなく、その日の新聞を焚き付けにしてしまった。父に白状すると叱られた。

「…新聞は泣いているぞ。新聞は大勢の人が、昼夜を問わず協力しあって作った情報の集大成や。それに早朝、寒い日も、風の強い日も、大雨の日も配達してくれる人のことを思ふと、新聞を粗末に取扱ったり、足で踏んだりしては罰が当たる」

 新聞は粗末に扱ふと罰があたるほど尊いもの。だからといって普段は永久保存などせず、翌日になったら一転、燃料や包装に再利用される。畳の下やタンスの中に敷く人も。世の中の動きを知るときも、日々の身近な暮らしにも、いつもそばには朝日新聞

 高知県のcさんは学徒出陣した兄の思ひ出。手紙で、朝日新聞を送ってほしいと言ってきた。

今持って来ているのは歳時記と聖書だけなので、アポリネールの詩集とサマセット・モームサミングアップと朝日新聞を出来るだけ沢山送ってほしいとの事であった。

 父はさっそく一部を二部にふやし朝日新聞を取り、長兄が転々と移動する地に送り続けた。

 歳時記と聖書などに加へて必要なのが朝日新聞。実家から送ってまで読ませた。

cさん本人も朝日新聞の熱烈なファン。

朝日新聞をつらぬく思想、文芸、芸術に対する鋭さ、音楽への批評文どこを開いても心魅かれる記事が多く、毎日私の沢山のスクラップのためレースの如き紙をみて友人は笑う。

 切り抜く記事が多いので、切り取ったあとの新聞はレースのやうに細長い部分ばかりになってしまふ。スクラップは多くの人が実践してゐる。貴重な休日を費やしてゐると自嘲したり、ライフワークだとばかりに誇らしげな人もゐる。 

 

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