夢で神の国と地獄を訪れた琴錫龍

 『キリストの戦争裁判』は琴錫龍著、I・N・C・A出版部(国際人格者協会)発行。昭和21年5月発行。著者は朝鮮人東京大空襲で、本所福音協会の恩師、広野捨次郎牧師を亡くした。

 その広野牧師が夢の中に現れて、神の国や地獄を案内してくれた。古今東西の有名人に会ひ、最後に戦犯クラブに到着。キリストがヒットラーに裁きを与へるところで終はる。

 著者が会ったヒットラーは、人間の姿をしてゐない。

 これはまた何と変つた姿であらう、丸で怪物である。顔はライオンだが髭だけはヒツトラーそのまゝである。体は大蛇で手足が鰐である。尾を高く振上げてムツソリニーをにらみつけてゐる。

  ムッソリーニも人間の姿ではない。

頭は河馬に似て角あり体は牛に似て毛なく手足は人間に似てヒヅメあるいとも奇しきスフインクスを遥かにしのびて滑稽なる動物。 

  二人は果てしなく喧嘩をさせられてゐるのだといふ。

 別のところでは、始皇帝明治天皇が酒と共に話し合ってゐる。始皇帝が笑ひながら言ふ。

「何れにしても陛下の臣は皆朕が遣はした不老草求めの使臣ぢや、よつて云はば朕の罪でもある。国を亡ぼすもの必ずその子孫じやわい」と付け加へられた。 

  名前こそ出てゐないが、徐福のことを語ってゐる。徐福一行が不老草を求めて日本にやってきた。その子孫が日本人。日本人が今度の戦争で中国を攻めたのは、始皇帝にも責任があるといふ理屈らしい。

 著者は想像力豊かで、「犯罪系統の神経分子を完全に抽出」して人間の頭脳を改善すれば、人類の救済になるといふ。磔の時に痛くなければ自分がキリストになってゐたかもしれないとも想像する。

「勅諭ノ一字一句ハ神霊ノ結晶」

 


 


 『勅諭を捧体し奉りて』は著者、出版者などの記載なし。本文に「肇国二千六百年の式典」とあるので昭和15年前後、追記に昭和16年6月とあるのでその頃のもの。

 国民、特に軍人の心構へを説いたもので、大義に透徹していつでも死地に赴けるよう修養せねばならないといふ。たとへば頭山翁や乃木将軍は敬虔な信仰心を持って、神人合一の絶対境にある。しかし凡人がその境地に至るのは難しい。著者は軍人勅諭を何度も捧読し、捧写すべきだと訴へる。著者は昭和8年7月1日に勅諭100回謹写を発願し、336日かけて完成した。その間は精神啓発の愉楽を覚え、その後も謹写を続けて精神の進歩を楽しんでゐる。

 捧読の読み方には注意点がある。大元帥はダイゲンスイではなくタイゲンスイ。何の、はナンノではなくナニノ、など。

 捧写の際の注意として、勅諭中の変体仮名もそのまま書き写すべきだといふ。変体仮名は現在では蕎麦屋などごく一部にしか見られない。昭和15年ころでもだいぶ少なかっただらうが、これを普通の平仮名に置き換えてはいけない。「勅諭ノ一字一句ハ神霊ノ結晶タレバナリ」。

 

即チ、学問低キ当時ノ下士官兵ニ対シテ理解容易ナルベシトノ、大御心ノ発現ナルナリ。 (略)

 此ク思考スルトキ、変体仮名ノ一字一句凡テ謹書シ得ザレバ己マザルニ至ルベシ。

 

 

  捧読中悪魔ノ叫ビ心中ヲ往来スルアラバ、宜シク反省スベシ。宜シク憤ルベシ。若シ夫レ捧写中邪念ノ赴クマヽ字ヲ誤ランカ、宜シク鮮血ヲ以テ之ヲ染メテ反省スベキナリ。

 

 字を写すときに間違へてしまったら、鮮血で反省すべきだ。このやうな捧読、捧写を繰り返せば、無我の絶対境、勅諭の信仰に入ることができるのだといふ。

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頭山翁の言葉で檄文の印刷をやめた齋藤静弘

 『真実を求めて』は齋藤静弘著、昭和51年7月、印刷堂発行。序は加部明三郎板橋区長、元駒本小学校長の武藤良吉、詩人の井上八蔵。家系図や集合写真、家族の近況なども載せてゐる。

 明治36年に群馬県に生まれ、大正10年上京して印刷会社、印刷堂を設立。修養歌で作ったカルタ、卓上で読書ができる姿態矯整器を考案してゐる。戦時中は夢のお告げに従って、汚物の汲み取りに奉仕。叔父は明治神宮賄部に勤める。

 二・二六事件の夕、懇意にしてゐた小出医院の先生から、印刷の依頼を受ける。

「君を男と見込んで頼みたい、決して迷惑はかけないから他人の手をかけず、君一人の手で拵らえてくれ。」と、出した原稿を見ると、軍の横暴に対し詰問する檄文である。それを印刷の上バラ撒くのだから是非頼むと言った。(略)寝もやらず思案している処へ、下の表戸をトントンと叩く音に降りて見ると、小出先生だ。

「迷惑をかけて済まん、実は先刻の原稿について平常慕っている御大、頭山満に相談した処、“そんなことをするな”と叱られたから取り止める、原稿を返してくれ。」と、聞いた時、ホッとして胸撫で下したのであった。 

 非常時にはいろんなことが起こる。

富士宮瓊光「桃太郎とは生命原核をもてる存在の名である」

 『霊峰富士』は昭和34年12月、富士宮瓊光、小壺天書房。序は水野成夫徳川夢声。跋は藤沢親雄と大久保弘一。大久保は長年、著者と行動・研修を共にしてきたといふ。藤沢曰く「著者は日本の将来を荷う神才である」。

 著者はいつも「富士は神造のピラミット、ピラミットは人造の富士」と話してゐる。富士には不死鳥フェニックスの本体である木花咲耶姫ニニギノミコトが祀られてゐる。神武天皇のもとにやってきた金鵄もフェニックスを文学的に表現したものである。

 写子や響子などの超エネルギーの概念によって、宇宙生成や日本神話を解説。天瓊矛は単なる鉄剣ではない。

 

 実在が凝光して響子エネルギーと成り、これから一切の元々素、元素を放出分泌して、逐次生成の段階を現象に及ぼして終に嶋として現出せしめたとするならば何の不思議もない。

 

 

  桃太郎にも、著者によれば深い意味が隠されてゐる。

  桃太郎とは、生命原核をもてる存在の名である。桃は百(もも)に通じ、もち、望、みちに転じて、完全円満の意、百敷の大宮居とは、百の道を踏み行い給うみ舎のことである。

 世界と日本の神話、伝説などを融合させ、本来不二一体のものであるといふ思想で一貫してゐる。スサノオノミコトもキリストに重ね合はされ、更に本源的なものとして説かれる。

素尊はここで一切世の悪濁の責を一身に負われることとなる。(略)キリストより、シャカより旧い時代の、より一層本源的な意味に於ける、十字架上の素尊の姿がここに現出する。 

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奥村喜和男に万年筆を逆手に持って迫られた堀川直義

 


  『ブン屋紳士録』は堀川直義著、秋田書店、昭和41年5月。表紙カバー・カット関孝。扉に「面接博士の面接メモ」とある。堀川は明治44年京都生まれ、京大心理学科卒。朝日新聞記者。面接に関する著書多数。

 本書は知り合った人々の逸話集。名前だけの人も含めて567人に及び、人名索引もついてゐる。経歴が面白いので出てくる人も興味深い。代々御所につとめ、父は宮内省の役人、堀川儀一郎。賀陽宮家に仕へ、著者は子供の頃から宮家に遊びに行った。佐紀子妃のおつきが関口久能で、親族の関口泰新村出らが出てくる。

 朝日時代は長谷川如是閑に会ってゐる。愛用の杖をもらったり、時代に合はないと言って泣かせたりしてゐる。

 

「キミそういうのか。こないだ丸山真男も、同じことを言った」心ないことを言ったと後悔した。

 

  戦時中は情報局担当。大政翼賛会にも出向した。情報局歴代局長、関係者の印象が描かれる。印象に残ってゐるのは奥村喜和男次長。

 

そのうちに満面朱をそそいだようになった奥村は、手もとにあった万年筆をさか手にもって、わたくしに迫ってきた。暴力に自信のないわたくしは、飛ぶようにして次長室から逃げ出した。

 

 朝日では調査研究室に所属。あまり語られることのない調査研究室の仕事、人物のことがわかる。

 文学者との交友では、平野謙中央公論に紹介してゐる。広津和郎から教はったノイローゼ克服法がいい。それを真似した著者のことば。

「勝手にしゃがれ、雑誌の一冊や二冊、白いページができたっていいじゃないか。新聞社の一つや二つ、つぶれたって大したことはない。どうにでもしてくれ」と観じて、ヘソを天に向けて、大の字に寝るのである。 

  新聞社の一つや二つ!

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熊沢天皇を霊的に説得した小泉太志命


『三劫の帝王』は三重県の神武参剣道場、昭和53年7月発行、非売品。表紙と扉は竹村碩峯著、奥付では編者。竹村が道場の小泉太志命について、世の中に伝へようとして記したもの。

 「はじめに」にはその甚大な苦労を記す。

宇宙を捉える道具が発見されないように、太志命を何らかの方法で書こうとしたが、あまりにもスケールの厖大さに阻止された。今までも数多くの霊的保持者が書物にしようとしたが中途坐折に終ったと聞くが、実際に書くべきでないことが解った。 

  伝記にはしばしば同様の文言があるが、この書はなるほどスケールが違ふ。宇宙の成り立ち、世界の仕組み、哲学などから小泉太志命といふ存在を描いてゆく。「筆者の意思活動は停止させられ無意下の意識によっていわば、自動書記的に霊筆したもの」といふ。

 写真は道場での小泉のほか、満井佐吉らと一緒のものもある。

 小泉とは何者か。伊雑皇太神宮の本体で、北極紫微宮の法理を携へて伊勢志摩に神武参剣道場・天之磐門顕正奉賛会を設立した。青森県で出生したともあり、青森の遮光器土偶、キリストの渡来、天の浮橋、宇宙人についても触れる。

 釈迦、キリスト以上の大聖人で、世界平和や全人類の幸福を祈願してゐる。戦時中は天皇家護持、皇居防護に尽力。満井を表に立てて活動してゐる。

 皇統問題についても、熊沢天皇や三浦芳聖と霊的に会って説得。「熊沢、今更君が正統であったとしても、それを表面に立って争うことは相ならない。…」と諭してゐる。なぜ小泉がさうしたのかも説明されてゐる。

 このやうに常識では計り知れないことや神秘的なことが記されるが、いはゆる偽史について勉強してゐて、引用も多い。ノストラダムスの予言、かごめ歌の秘密も取り込んでゐる。言霊の解説も多く、志摩は志を磨くところ、五十鈴川は石鈴川、ことばは光透波(こうとうは→ことば)、などなど。

伊勢志摩とした所以は志摩半島があるからではなく、総ての人類の“志”を研賛する聖地であり都であるということに基因するものである。 

  人類は安心立命、不老不死、平和のみで宗教を必要としない世界の建設の時期にきてゐる。それは「惟神の道」により可能で、そのために幽居の扉を開いて太陽のごとく出現しようとしてゐるのが小泉太志命なのだ、それを待望してゐるのだと熱願してゐる。

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伊藤律暗殺仮装事件の浅沼龍三こと山本卯一

 『旋風』(白文社)は昭和24年2月号が第2巻第1号、通巻第7号。この号に「左右両翼を食ふ男 仮装暗殺事件の真相」が載ってゐる。

 前年9月、長崎県生まれの元炭坑夫、浅沼龍三こと山本卯一が伊藤律を暗殺しようとしたが翻意し、原宿署に自首したのだといふ。共産党は「政府のファシスト的政策と一連のつながりがある」などと発表した。

 山本は高崎市の救国立正党本部の経営する無料宿泊所「再起寮」に寝泊まりしてゐた。そこで立正党盟主の城越副司から

 

「わが党は一人一殺主義で日本共産党政治局員をやつつけるのだ。既に三名は先発している。君は伊藤律を殺せ」

 

 と短刀と現金千円を渡された。城越はほかの諸資料では塚越。

 ところがのちの取り調べなどでは、いろいろと事実が異なる。実際は山本の方から「自分も共産党は嫌いである…もう一度共産党の幹部をやっつけたい」と持ち掛けてゐた。短刀と千円は、山本が徳田球一襲撃の責めを負って自決するといふので城越が渡したのだといふ。党は反共団体を解散させるため、浅沼と事件をでっち上げたのだとされる。

 山本はもともと、浅沼隆三の仮名で熊本のキクハタ同志会に入会。会員の肩書で会社などから小遣ひを得てゐた。

刑務所を出てから検挙されるまでの彼の行状は嘘から嘘への連結であつた。けう共産党の門を叩いたかと思えば、あすは右翼陣営を訪れて、巧妙なウソをつき、金品を詐取していた。 

  彼の足跡は全国に及び、広島では芦田均を暗殺するといって共産党地区事務所を訪問、その費用として500円を得た。大阪では右翼を歴訪。徳田襲撃で追はれてゐるとして現金や食料をもらってゐる。

 その時々で右翼になったり左翼になったりして、暗殺対象の名前を入れ替えて話をして金品を騙し取ってゐる。