大内青巒の差別論

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 『大同新報』は大同団編輯局発行。第17号は明治22年11月28日発行。尊皇奉仏を合言葉に、宗教界の団結を訴へる。キリスト教を警戒し、攻撃もする。

 「差別平等の理に依て尊皇奉仏の大義を論す」は大内青巒述、荒浪市平速記。

 大内は外部からの疑問を紹介する。仏教は平等を主張してゐる。それなのに尊皇奉仏などと、特別に言ふのは矛盾してゐるではないか、と。

 

何も天子様の御家だけ別段に尊まずとも、世の中にありと所有(あらゆる)天下の人は、皆尊いではないかといふ疑を起すので有りますが、一応御尤もの様に聞ゆるけれ共、それは仏教の平等といふ事を間違ひた上に考へ誤つたからであります、

 

  仏教の平等といふのは、今あるものをぶち壊して同じにすることではない。

 

山は高い儘に山の徳を全ふし、谷は低い儘に谷の徳を全[ふ]するのか[が]、差別の儘の平等と云ふので、決して高い山を崩して低い谷も埋め、真平になつたのが、平等と云ふのではない、それは平均といふ

 

 家族が5人居るとしたら、父は父、子は子で別々でありながら団欒を楽しむ。それを全員石臼に入れて団子にしようといふのは悪平等で、間違ってゐる。

 

足も頭もゴタマゼにして、搗き抜き団子の様にするのが平等と云ふ訳ではない、其れか[が]悪平等と申すので御座います、

 

 悪平等・悪差別を主張してゐるのが基督教新聞だとして、批判的に紹介する。

 

人間社会の外に、別に神の世界が有ると執着するが悪差別で、人間社会の複雑な有様を無くして仕舞ふに、唯一の神の世界にするのが目的だと云ふのが悪平等で御坐ます、(略)天子も人民も滅茶苦茶にするのが目的で有る

 

 このやうな破壊主義に対抗するために、尊皇奉仏の団体を作ったのだと宣明する。

 この号はほかにも、風俗壊乱についての論、神官僧侶の被選挙権を論じたものなどがある。続く。

 

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