平泉澄と稲川誠一の師弟愛に打たれた篠田喜作

 『友情の原点 至誠無くして親友無し』は篠田喜作著、岐阜市の篠田喜作講演事務所発行、手元のものは平成7年4月の第4刷。昭和4年生まれの著者は、日産の名を冠した会社など5社を日産に乗っ取られ、52歳から裸一貫となる。事務所を設立し、全国で講演する。

 昭和49年には大蔵大臣宛に紙幣改善を提案。大きさを小さくすること、劣化を防ぐため「折り曲げないで下さい」と表面に印刷すること、盲人用に点字かスカシを入れることを要望してゐる。

 本書はさまざまな時に出会った人物たちとの交友録。その中に、教育正常化や元号問題などに尽力した稲川誠日本教師会会長を描いたものがある。稲川は大正15年1月、大垣生まれ。中世史を学び、平泉澄に師事した。

 昭和52年、篠田と稲川は3時間かけて平泉寺の平泉の元を訪ねたが、あいにく風邪気味で臥せってゐると手伝ひの人に言はれた。

 

「そうですか。少し寒くなりましたから、どうかご自愛下さいます様に」

と極めて短い挨拶をされて、風呂敷包みの中から土産物を玄関脇の板の間に置かれ、平泉先生の伏しておられる部屋の方に向かい、しばし真剣に最敬礼されたのである。

 そして、何一つ用件を伝言するでも無く静かに帰られた。

 清廉、そのものである。

 私はものすごいショックを受けた。これが本物の先生と弟子の姿なのだと。

 

 

 篠田と日産との裁判を支援した松平永芳靖国神社宮司宮内庁に売り込んでちり紙を納入するまでになった桜井尚二の逸話もある。