金子雪斎を問責した早川専一

 『久遠の命』は昭和10年5月25日に41歳で亡くなった早川専一の追想録。翌年同月同日に尚子夫人の名義で出された非売品。
 早川は明治28年5月、熊本県八代郡生まれ。旧姓獄村。拓殖大学卒業後、大連にあった金子雪斎の振東学舎で学んだ。遼東新報社を経て電通に入社。奉天、ハルピン、北平支局長等を歴任した。
 電通創業者の光永星郎は同郷で、獄村家とは父母の代から交流があった。書名も光永が書いてゐる。
 友人知人の追想は断片的なものが多いが、藤原繁太郎のものが具体的で面白い。
 大正10年4月、藤原は伊達順之助の紹介で、平佐大尉と渡満した。これは平佐二郎のことだらう。この時点で背景が気になる。
 早川と会った際、中野正剛の弟の秀人も来舎してゐた。食事は皆、味噌汁とタクアンだけの筈なのに、秀人には鮭が一切れ多くついてゐた。 早川はこれに怒った。

「何だ藤原君は皆と同様にして中野君だけを優遇するとはけしからん、如何に正剛先生の弟でも一学生に変りはないぢやないか、先生はそれだからいかん」と云つて大変に金子先生を問責された。

 中野正剛への期待の高さと、早川の廉直さがわかる。早川は舎監だったともあり、金子からの信頼もうかがはれる。藤原は早稲田を卒業後、電通に入社。早川の後輩となってゐる。当時、早稲田や拓殖の豪傑が通った味噌汁屋「たぬき」があり、2人で通ったことなどを思ひだしてゐる。藤原はのちに社会党代議士。
 豪傑型だった早川は愛妻家となったさうで、二人眼鏡の写真から睦まじさが偲ばれる。


















































































・『光陰の刃』(西村健)読了。井上日召団琢磨のダブル主人公。違ふ人生を歩む2人が、架空の人物を媒介にして暗殺事件に引き寄せられてゆく。参考文献に『一人一殺』があるやうに、日召の心情に忠実に描かれてゐる。フィクションの人物も自然に登場する。日本国民党の寺田稲次郎が一か所、稲田になってゐるのが惜しい。