飯嶋夫人は三島由紀夫担当編集

 続き。飯嶋が、拓大では「オス」を三回唱へると退学を迫られるといふのを批判してゐたりするのも気になるが、飯嶋の結婚式のくだりが読ませる。乃木神社で挙げた式は昭和28年7月。相手は文藝春秋社で三島由紀夫の担当だった。初対面の新妻に、三上は「飯嶋は、家庭を持つような男じゃない。今すぐ、この結婚は止めなさい」と忠告した。
 なんといふ方か存じ上げないが、昔のことだから寿退社したのであらうか。

 かけつけた親友三人のうち一人はラーメンのどさんこチェーンを成功させた後、「日本初」のサラ金会社を興したといふ。新妻の妹の夫はユダヤ研究家だといふ。残る一人は名前も消息不明だといふ。んん。これ本当かなあ。



戦中の写真は前列右端が三上、後列左端が飯嶋。キャプションには書いてないが、後列右端もどこかで見た気がする。
 昭和30年代と思はれる写真もなかなかよい。左が飯嶋、右が三上。