興奮して読めなかった『独歩全集』

 『白梅』は岩手県立盛岡高等女学校報国団発行。昭和17年3月発行が第31号。年刊のやう。報国団は校友会を発展的に解消したもので、16年5月22日に結成式が行はれた。

 直前の5月12日から16日にかけて、精神修養のために六原青年道場での入場体験があり、日本体操や開墾に従事。参加者が記録を残してゐる。上羽長衛団長の巻頭言は12月6日付だが、8日の日米開戦を迎へたあとの記事もある。

 千田洋子は「大東亜戦争詔勅を仰ぎ奉りて」。

ラジオを聞きながら私は、今、この国一億の国民が皆同じ感激に打たれ、同じ決意に燃え、完全に一つの心になつてゐる事を思ひ、皇御民として生れ出でた幸に、涙が流れてたまらなかつた。 

我々が絶対の信頼を置いてゐる様に皇軍は、その実力に於て、どんな国が向つて来ようと、必ず勝てる事は確実である。かうなると勝敗は、その皇軍の勇士の後押たるべき国民の双肩の上にあるのである。しかも、その任に当る者は今や、女性でしかないのである。

 従来男子がしてゐた工場勤務も開墾も国土防衛も、これからは女性がやらねばならない。主婦や母としての務めも重大である。平和な時代への未練を捨て去れと呼びかける。「その心も、血も、肉も、国家の為に捧げなければならない」。

 「あゝ感激の日よ」の板倉康子は隔離病棟に入院してゐる。早朝のラジオを聴かなかったので、看護婦から一報を受けた。

 日米戦始まりたりと聞きし日の脈搏高しと看護婦(ヒト)のつげにき。

 気を沈めねば\/と枕許の独歩全集を一、二頁繰る。目に入らない。強て読まうとすれば一字々々がきれぎれに、大きくなり、小さくなりして、目の前にちらつくのみ、仕方無に布団をかぶり、静かに目をとぢる。念頭を離れぬものは日米戦――。

 午後に待ちわびた母からニュースを聞いた。病室には灯火管制の用意がされた。夜になっても昼間の興奮で眠れない。ベッドの上に座り、胸に手を合はせていろいろのことを考へる。

 噫! 早く元通りの健康体となり、立派な皇国の民として、卒業後は、徴傭令でも何でもどし\/志願して、御国の為に働ける様にならねばならない。

 皇軍の戦捷と、兄の武運をひたすら祈つて寝につく。

 この記事の冒頭では、早朝のラジオの様子を想像してゐる。

ラジオから全日本に、否全地球上に、世界黎明の旭光は放たれた。(略)感激に高調するアナウンサーの声を全盛岡市民は、否一億国民はどの様に感動して聞いたであらう。

 

 

吉田秀雄「正力、前田の爪の垢を煎じて飲め」

 『新聞時代』は新聞時代社発行。昭和33年3月発行の第7集は3巻1号。前田久吉が作家の川口松太郎と対談してゐる。題して「新聞の鬼“前田久吉”」。川口の質問に前田が答へる形になってゐる。

 東京進出について、次のやうに語る。

東京は政治の中心、大阪は経済の都市ということできておったが、戦後はすっかり変って来ましたね。東京重点になって来てるんですね。そうすると、大阪のごときは、経済は縮まってきたし、なにもないところです。(略)大阪だけで新聞をやっているということは無意味だ。

 これからは大阪の発展は望めない。それで経済的にも東京で新聞を発行するのだと語ってゐる。

 追放中は苦しく、身体的にも健康を害した。格子なき牢獄だったと嘆きながら、解除後にアメリカ人の教授が占領政策の聞き取りに来たと回想。感心するところもあるといふ。

アメリカ人は面白いなと思った。一方で追放をやっておいて、他方では、その裏を批判し、調べる。どうも民主主義が徹底しておるな。

 対談時は東京タワーの建設中。まだ命名されず、日本電波塔といってゐる。増上寺に立地した理由として、南洲庵や紅葉館跡が残る由緒のあるところといふ点を挙げ、外国人観光客を迎えることもできる、と効用を論じた。

 この対談の前文に、電通の吉田秀雄社長による前田久吉評が載ってゐる。

「人間仕事をする限り、事業をやる限り、その事業に対して、あくなき貪婪、貪欲というものが、なかったら仕事を完成することができない。前田久吉の残した業績というものは普通の考え方、普通のやり方では残るものじゃないぞ。諸君は前田久吉さんの爪の垢を煎じて飲め、おれは爪の垢を煎じて飲んでいるのだ、この人には頭はあがらん」

 普通でない考へとやり方で事業に邁進する前田。そんな前田を見習へと社員たちに言っているのだといふ。これは前の号の対談に載ってゐるのだといふ。その第6集、昭和32年11月号の2巻4号を見ると、確かに「広告の鬼“ワンマン吉田”に聴く」が載ってゐる。新聞の鬼が前田なら広告の鬼は吉田。対談相手は深見和夫読売新聞社業務局次長広告部長。しかし次号で紹介された文言と、多少異同がある。

…諸君は正力松太郎さん、前田久吉さんの爪の垢を煎じて飲め。おれは爪の垢を煎じているのだというた。この二人には頭はあがらん。

 間違ひではないが、正確でもない。吉田は読売の広告部長との対談なので、正力と前田を並べて、共通した点を高く評価してゐる。これを次号の前田の対談記事では、正力の部分が省略され、「この二人には頭はあがらん」が「この人には頭はあがらん」に編集されてゐる。編集の裁量の範囲内かもしれないが、これでは前田だけの爪の垢を煎じて飲んでゐるやうに読める。実際は、正力と前田の両方のを飲んだり飲めと言ったりしてゐたのだ。

 この「爪の垢を煎じて飲む」といふ言ひ回し、最近あまり聞かないな。

 

 




 

頭山翁「お鯉は女野郎だ」

 『同行』は同行社発行、昭和29年11月号は第4巻第11号。発行編集兼印刷人は齋藤加世。常時執筆者として石橋湛山西尾末広大島豊三木武夫の名がある。

 随筆や引用などを載せてゐるが、特色はゴシップ集にある。52ページのうち23から50ページと、約半分を占めてゐる。

 本多静六がドイツに行くのは愛人に会ふためだとか、下衆な内容ばかり。ゴシップ子は井箆節三から改名した井乃香樹を訪問。70歳でも夫婦生活を営み、夫人の方から求めてくる。万葉集の本を出版するため金策に走ってゐる。

 9月18日の、お鯉の建碑式のことも書いてゐる。お鯉は桂太郎の愛妾として知られ、のちに目黒の羅漢寺の住職をしてゐた。この年は七回忌。頭山翁のお鯉評を載せてゐる。

「…男でも筋が一本通らないクニャクニャした男女郎というのがあるが、お鯉は背骨一本通つている女野郎だ」

 女らしい女ではなく、男のやうな女であることを褒めてゐる。高場乱を思ひ出したのだらうか。 

 岩田芙美夫が出てくるが、これは大化会の岩田富美夫のことだらう。「年増泣かせ」のあだ名とその由来を記す。





 

西郷徳男「ピントはずれもいいとこでした」

 『語りつぐ昭和広告証言史』は渋谷重光著、宣伝会議発行、昭和53年5月発行。表紙の文字の上部が切れてゐる。書名も凡庸だが、実際は『戦前戦中戦後 広告業界うらおもて』といったところ。広告業界の関係者の証言集で、現代とかけ離れた業界の様子を伝へる。戦時中についても、軍部に協力して存分に実力を発揮でき、奇妙な明るさがあったといふ人も登場する。

 戦前の広告取りは高級乞食などと揶揄されながら高給取りでもあった。給料で家を建てる者も珍しくなかった。酒井謙吉は電報新聞社、神戸新聞社などに勤務。副業について証言してゐる。

「裸体写真」の通信販売もやったね。これは、そのものズバリだと刑法にふれるから、上野の帝展に出品した裸体画や彫像を写真にとってね、それを「裸体写真」といって売るんだ。

 上司も同様のことをしてゐて、お咎めなしだった。 

 玉川一郎は作家になる前、博文館、伊東屋コロムビアで広告に携はる。広告代理店からの接待の様子を証言してゐる。

飲み食いしているうちに、しばらくして、「どうぞ」っていうんだよ。次の間をみると薄暗くして布団がしいてあるんだ。(略)戦前はでたらめな時代だったね。

 西郷徳男は、化粧品の中山太陽堂で働いてゐた。社長の中山太郎は広告好きで有名だったが、西郷は中山の考へに疑問を持ってゐた。広告を出稿するラジオ番組が「親鸞」「聖徳太子」などだったから。

化粧品会社は、若い女性を相手に商売するとこでしょう。それが「親鸞」ですからね。ピントはずれもいいとこでした。

 中山社長が戦後の風潮に日本精神を注入しようしたのだらうと推測しながらも、ついに破産したことを指摘してゐる。

 

 

檜山御陵造営を請け負った大江功造

 『大正乙女』は清水光子著、生野重夫発行、昭和61年5月発行。西武百貨店製作。故人の一周忌に際して、身近な人々に限って配布された。時代や人の切り取り方が巧みで舌を巻いた。小説の原稿は段ボールいっぱいにあり、校閲も入ってゐたといふが原文のまま収録。小説は4編。

 「電車で会った女」は私小説風。主人公の乗る電車に急いで乗り込んできた一人の女。しかしどうやら誤乗車で、早く引き返さねばならないらしい。ところが電車はしばらく止まらず、用事に間に合ひさうにない。初対面の女と主人公との会話で、用事の内容や善後策について問答してゆく。四条大宮や淡路、京都の地名が出てくる。

 「弓張提灯」は明治時代の山科が舞台。少女の家は氷卸を商ってゐる。一家で氷の荷車を坂の上まで押す苦労、没落士族の父、奴茶屋の娘で商才に長けた母などが生き生きと描かれる。父は江州水口藩の家老、端山遼の息子。瑞山家の宝物が屑屋からアーネストに買はれたり、母が自転車の練習場を開業したりするところなどは話に広がりを与へてゐる。

 書名にもなってゐるのが「大正乙女」。題材や話の展開がよく練られてゐて引き込まれる。大江功造は奉公先の呉服屋を飛び出して上京。宮大工の下で修業し、皇居の造営では明治天皇を平伏して奉迎した。大江組の社長となり、宮内省御用達として檜山御陵の造営も請け負ふことになった。明治天皇が眠る桃山御陵がモデルだらう。そこに待ち受けてゐたのが地元の藤川組。緊迫する対決の場に現れたのが藤川社長の娘のお京だった。衝突を未然に防いだお京。大江は藤川組も協力して御造営をしようではないかと提案する。

「…このように立派な天子さまが、永久にお鎮まりになる陵だ。地元も他所者もない。国民全体がご奉仕するのが当然なのだ。…」

 お京の返答は意外なものだった。

「ハイ、宮内省のご用か何か知りませんけれど、陵の工事は、大江さんが請け合われたことで、藤川組とは別に関係のないことです。どうぞお気にかけずに、そちらの方でよろしいように…」

 大江は「この国の国民にして、上ご一人の御陵造営に携わることの光栄を思わない者があるだろうか?」と疑問を持つ。大江とお京の意見は、明治と大正の時代を反映するかのやうに、平行線をたどるのだった。

 「靴」は戦後間もなくの荒んだ世相を映したもの。靴の修繕の青年は、かたくなに一足しか受け取らす、直した方を届けてから、もう一足やることにしてゐるのだといふ。物資が不足した時代ならではの理由を知り、「私」は言葉を失ふのだった。

 

 

梅風「書籍を読むは人の天職にはあらざるべし」

『二 十世紀 新論文』は小宮水心編、立川文明堂発行、大正11年4月発行。手のひらに収まるポケット判。小宮は手紙や文章の書き方に関する本を多く残してゐる。本書はいろんな青年男女の短文を集めたもの。名字はなく下の名前だけ。執筆者の来歴などはよくわからないが、現代にも通じる意見が述べられてゐる。

 目に留まったところをどこからでも読める。卓子は読書の楽しみを論じる。

読書の楽みは、いたづらに時日と財とを費さず、友をも求めず、かくて其読む書も月に日に進歩して、新刊の数も日一日より多大に赴きつゝある今日、いかでか此楽みのみは、とはにとはに尽くることのあるべきかは。

 読書は時間もお金もかけず、友も要らない。新刊はどんどんたくさん出版される。読書の楽しみは尽きることがない。ただ楽しいだけではない。知識を得て道徳も修められ、国家に尽くす基にもなる。

 梅風は「書籍の選択」を書いてゐる。

然れども思へ、書籍は必ずしも益するものにあらざるを、中にはかへりて害あるものなしとせず、吾人は書籍によりて得る所あらんとし未だ一利を得ずしてかへつて先づ、一害を見る事あるべし。

 と、書籍の害を論じてゆく。

書籍を読むの本義は人生に裨益するにある事をわするべからず、書籍を読むは人の天職にはあらざるべし。故に己の志を達するに必要なるものを多く熟読すべく乱読は必ず之を避けざるべからず。

 人の生命には限りがある。乱読して時間を無駄にすることは避けるべきだ。大工志望が家を完成させるといふ本来の目的を忘れて、壁塗りばかりするのと同じことだ。全くその通りだ。

 また別のページを開いてみる。せい子が「楽しくくらせ」を書いてゐる。目次ではいせ子。彼女は貧乏を恨んだり、他人をうらやましく思ふことが好きではない。

どうせ短い生涯ですもの、長くはない命ですもの、一日でも半日でも、此貴い生涯の一部である月日を、愉快にすぐす方がよつぽどましだと思ひます。

 貧乏でつまらないつて、いくら零してみたところで、何処からお金が出て来ませう。まさか御伽噺じやあるまいし、天から降つて来ますまい、

 「御伽噺じやあるまいし」がすてき。鼻歌でも歌ひながらせっせと働けば、ひとりで豊かになりませう、それが真の幸福でせう、と語りかけてゐる。

 

 

 

鹽谷不二雄「読書の前には二、三十分の休憩が必要」

 読書の秋なのでたまには本でも読まう。でも本を読むと疲れてしまふ…。そんな人には鹽谷不二雄「読書しても疲れぬ法」『健康時代』(健康時代社、昭和11年7月号)。

 長時間の読書には目を大切にしなければならない。眼に異常があれば眼科医に眼鏡を選定してもらふ必要がある。眼と本を平行にするために、見台を使ったり机を斜めにしたりしなければならない。部屋を明るくし、光線は自分の影が邪魔をしないやうに、左上からくるやうにする。少し暗くなっただけで物が見えにくくなる夜盲症はビタミンAが欠乏してゐるので、青い野菜などを摂るのがよい。

 やっと本題に入る。

 読書の疲労を防ぐには、食事や入浴、劇しい運動等の直後には避ける方がよい。かやうな場合には、血液は胃や皮膚筋肉に集中して、脳には比較的血液が欠乏してゐるから、疲労を招き易い。

 従つて、長時間の読書に取りかからうとする場合には、二三十分休憩してからがよい。

 すぐに読書するのではなく、二、三十分休憩してからがよい。心労があったり喧嘩をしたりして興奮した後には、散歩などで落ち着かせてから読書をするため、やはり二、三十分必要になる。

 読書には心身の安息が重要だと説いてゐる。そもそも読書のときにすぐ疲労するのは、病気と関係がある。頭痛や肩こりが起こるのは、神経衰弱症の場合が多い。ほかの病気のこともあるので、医師の診察を受ける必要がある。

神経衰弱症の傾向ある人は、おもしろい本だと思ふと、初めからひどく亢奮してかかる為にかへつて早く疲労してしまふことがある。(略)長時間読書を続けようと思ふならば、冷静に始める必要がある。

 面白い本だと興奮して疲れやすくなるといふのだが、どうも賛成できない。面白い本だと夢中になって、疲れも忘れるやうになるのではなからうか。

 読書で疲労しない方法として最後に強調してゐるのが、習慣化のすすめ。毎日でも週一日でもよいから読書をする。さうすればいつものことだから、苦にならない。読書も練習で上達するものだと述べてゐて、これはうなづける。

 十大黒焼療法の記事は服用者の体験談。目次では実名のやうだが、実際は(仮名)。どれも文末に一三六頁参照とあって、そこを開くと代理部の広告になってゐて、各種の黒焼きが買へる。猿の頭、栗のイガなどは1週間分50銭。一番高いのは狐の舌で1円5銭。この雑誌が1冊30銭なので、ものすごく高いといふほどではない。何週間分もまとめて買ふものなのかもしれない。