左藤義詮の武勇伝

 『精進一路』は左藤義詮、昭和19年7月、伊藤萬株式会社発行。非売品。機関誌の巻頭言をまとめたもの。時局を反映したもの、身近に見聞きしたもの、過去の出来事など40項目。

 「小虫の墓」は木曽川の水の事故で亡くなった9歳の娘、道子の思ひ出。蛍を籠から逃がしてやったりきりぎりすの墓を作ってやったりしてゐた。

 「或る武勇伝」はドイツ留学の途中、アメリカでの出来事。ヨセミテ国立公園に歩いて向かってゐたところ、後ろからカップルが乗った車が近づいて来た。

わざとエンヂンの音を止めた惰力ですぐ後ろまで近寄つてから、突然気狂のやうに癇高く警笛を鳴らした 。間一髪危ふく横に吹飛んだ筆者とすれすれに、俄かに速力を出した瞬間、雪解の泥濘に突込んだ車輪の飛沫が、帽子から外套から全身サツと泥鼠のやうになつた。

 呼び止めると大男が下りてきて「文句があるのか?」と立ちふさがるので負けずに言ひ返したが、語学力は十分でない。 そのうち相手が攻撃をしてきた。

 第二撃を交しざま、弾丸の如く胸元にぶつつかると、襟元ひつつかんで乾坤一擲の背負投をかけた。学生時代に漸く一級程度、それももう六七年も習つたことのない柔道が、かくも鮮かに極るとは、今思つても天佑神助、腕は強くても足の弱い毛唐の恰度又腰の伸び切つたところへ、日本男子が捨身の一発、一間ばかりも彼方の泥濘へ、グンといふほど伸びてしまつた。

 同胞も大いに喜んだといふ。

 ドイツでは第一次大戦時の窮乏生活を知った。犬猫や鼠まで食べたと聞き、凍死者を火葬する燃料もなかったといふ。

 思へば我国の現在の如き恵まれた交戦国がどこにあらう。独逸や蘇聯の程度まで切り詰める覚悟をしたら、幾十百年の長期に亘るとも、余裕綽々として寸毫も怖るゝところはない。 

  左藤は短期決戦論ではなく、長期持久戦を唱へる。火のついたやうに駆け回るのは邪精進で、牛の歩みのやうなムラのない努力こそ正精進だと訴へる。

金は多い、物は多い、然し平生贅沢に忸れて辛抱の乏しいアメリカの方が先にへたばるか、金力物力は劣つても、三千年の大和魂、挙国一致の日本が頑張りぬくか、結局戦争は我慢の仕比べである。 

  精神力や耐乏力の重要さを力説する一方で、航空機の増産を主張。拳を震はせ、米英撃滅を熱願してゐる。

帰還報道班員の話を聞きながら、握り締めた拳がブルブルと震へ、拭ふても拭ふても眼がしらが熱くなつて仕方がない。今幾倍の能率さへ上げてゐたら、可惜勇士にこんな苦しい無理をかけずにすんでゐたのだ。鬼畜の如き米英にソロモン、アツツの土一つだつて踏ませてはゐなかつたのだ。

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宜く書物之神学者之遠御祖之尊とも申すべきか

 『明烏迷の目醒 神道大意』は発行所、発行年を示すものなし。56ページの冊子。変体仮名が多いので明治半ばごろ発行か。表紙はいざなぎ・いざなみの両神にかささぎらしき鳥。神道の解説書かと思って読んでみると、ちょっと変はってゐる。

 和市は母と2人暮らし。

和市は人並みすぐれし寝坊にて喚起(おこ)す人さへ有ざれば一年二年は未おろか生涯をも寝ぼけて暮す 

  三年寝太郎のやうに寝てばかりゐて、母が呼んでも起きない。そこに友達の国吉がやってきて、やっと起こすことに成功した。起きた和市は神棚に柏手を打って、たくさんの神様の名前を唱へた。今日(こんにち)様、お月様、妙見様(略)…八百万の神神様といふので、あまりに数が多くて国吉は笑ってしまった。

 その後から全編にわたって、和市と国吉が神様談義、信仰問答を繰り広げる。国吉は、たくさんの神々をなんでもかんでも拝む和市の間違ひを指摘する。神様の利益を薬にたとへて、どれか一つ、確実に効く神様を選ぶべきだと説く。

 

薬をよく吟味して而て是なれば大じようぶ病気が癒る云事を見定て其を一つ而己(ばかり)飲ますれば間違が有ますまい

 

 そこでどうやってその神を選ぶかについて、神代の物語や本居宣長の説を参照しながら追究する。その中で出てくるのが書物之尊(志よもつのみこと)。書物之神学者之遠御祖之尊(志よもつのかみがく志やのとほつみおやのみこと)ともある。

 国吉は、紙は神なりといひ、書物を礼賛し神と称へた。それが書物之尊。

 

書物之尊と申しませうか何故なれば私よりも物識(ものしり)です私よりも学問上に於て勝れております是まで君にお話申た事も皆書物のカミから学びました書物は無声にしてよく人を教へ漏さず隠さず有のままを告げて何辺問ひかへすとも怒らず人に教て倦ず博識にして人に誇らず嗚呼其徳は高いかな宜く書物之神学者之遠御祖之尊とも申すべきか

 

 和市は「それでは何もかも皆神になってしまひます」「其書籍(志よもつ)を著作人(つくりたるひと)の方が尊ひかと思ひます」と、書物を神と崇めるのはをかしいと批判する。人間よりすこしでも優れたところがあれば皆神だといふのは、不合理だと訴へる。

 書物よりも、書物を書いた人の方が偉い。この関係を神様にも応用することで、話は核心に近づく。神道の霊魂や桃太郎にも話が及ぶ。

 次第に明らかになるのが、神道を信仰する者の代表が和市、基督教徒を代表するのが国吉といふ構図。そして和市の間違ひを国吉が諭すといふ論旨になってゐる。ただしゴッドや基督といふ言葉は明示されない。真の神、上帝、天などとほのめかされてゐる。

 それにしてもこの冊子、基督教風の表紙や書名だったら内輪の信徒にしか読まれなかっただらう。神道風のものにすることで、神道者が手に取るやうにしたのではないか。著者名や出版元の記載がないのも、先入観を与へないためかもしれない。 

 和市初出の部分は「和市とて一人の痴漢(しれもの)あり」と描かれてゐる。これは寝てばかりゐることを指してゐるとともに、真実の信仰に目覚めてゐないといふことも意図してゐるのだらう。

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「悪徳新聞記者は敬して遠ざけよ」

 『人事物件民刑百般 内證の相談』は岩崎徂堂・高橋茂共著、鈴木順閲。大正2年3月、岡本偉業館。ポケット判。金銭の貸借、戸籍の届け出方、婚姻・離縁、などの手続きや法律上の問題について、質問に答へる形で案内してゐる。

 硬い項目に交じって、たまに目を引かれるものがある。「近所の猫が来て勝手にある魚を食つて困りますが殺したら何うなりませう」「新聞広告に結婚媒介所と云ふものがあるが夫れに頼んでも間違はありませぬか」など。

「洋服を着た人が本を買つて呉れろといつて来たが断つても置いて行きましたが何うしませう」といふのもある。これには、

俗に押し売りと申しまして、近頃大分コンな事をして、歩く者が多くなつたのです 

 云々と解説し、強請なので警官に処分してもらひなさいと教える。本の種類は書いてない。洋服を着た人が、とか近頃とかあるので新手の犯罪のやうだ。

「私の家の悪事を新聞に書くが金を出せば記事を見合せると申して来ましたが如何致しませう」といふ相談もある。これに対し、回答は、無名の新聞社・通信社、「地方の下らぬ新聞記者」は悪事醜行の投書が来ると脅迫することがある、そんな悪徳新聞記者は警官にいへば脅迫未遂で拘引される。しかし、

 

さう単刀直入に警察官に知らせて、引渡すなどはせん方がよい、何時しか彼等悪徳の連中に恨みを受けて、何うせ碌な事をされないのです 

 

 すぐに警察に引き渡すのは得策ではない、恨まれないやうにしてきっぱり断るのがいいと教える。「敬して遠ざけるが第一」。記事を載せるのが目的ではなく、お金が目的なのだから、こちらが強気に出るのが肝心だと説いてゐる。

 類似の質問に「或新聞社が私の家の悪口をある事無い事書きましたが何うしたらよいでせうか」といふのもある。これは既に記事を書かれた場合で、その時は名誉回復を訴へて広告や損害賠償を出させるのがよいと指南する。

 

福田素剣「神代文字の存在を否定するは黙許する能はざる所」

 

 

   

 続き。福田素剣の攻撃は竹内文書の関係者にも及んだ。『皇道日報』昭和18年8月20日付。文書を信奉する人々が、四国でモーゼの十戒を刻んだ石を掘ったことを「正気の沙汰に非らず」と批判。神宝と称するものも偽造・偽物だといふ。もちろん文書自体も明治年間作成のもの。

 

竹内巨麿の作なるも、其後数十人が添削せるものと認めざるを得ず。例の酒井勝軍も竹内家に通ひし所なれば加筆せしならん。故に猶太臭多分にある所也。

 

 親猶主義の酒井勝軍が関はってゐることからみても、竹内文書は猶太思想だとして排撃する。

 神代文字を使用してゐるのも文書を古く見せようと悪用したもの。

 しかし、福田は神代文字自体の存在は確信してゐる。

 

竹内古文書が神代文字を利用したりとて、神代文字の存在を否定するは黙許する能はざる所にして、予は之を信仰上と実物を以て反駁せざるを得ず。

 

 猶太思想=欧米史観は、神代文字、神代文化の存在を否定する。神代文字の存在を疑はせるやうな竹内文書は、猶太の謀略だといへる、と警告する。

 

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福田素剣「殲滅戦を断行すべし」

 続き。福田素剣の行った思想戦とはどういったものか。米英や猶太を攻撃するだけではなく、その影響を受けたと福田が思ふ人物たちを槍玉に挙げた。『皇道日報』昭和19年1月18日付1面より。

今我が日本に現在する猶太思想謀略の選士たるは誰れぞ。大川周明石原莞爾里見岸雄、山川智應等是れ也。之等の周囲に集ふ徒輩又然り。 

  福田らが里見の不敬思想を排撃すると、彼らと中野正剛は官憲に弾圧を要請したといふ。「是れ、彼等が猶太陣営の闘志たるを暴露せるもの」。福田の文には「猶太の五列たるや疑ふも愚かなれ」「國體を破壊せんとするや謂ふ迄も無し」「鏡にかけて見るが如し」などと、「思想謀略」を確信してゐる。五列は第五列でスパイのこと。福田には情報提供者がゐたやうで、「思想謀略を探偵する某氏」からの津久井龍雄らの動静も伝へてゐる。

之等に対して思想戦を行ふが我が日本思想戦なりとす。吾が日本思想陣営より幾度か渠等に対して順逆を説きしも、猶ほ猶太陣に踏みとゞまる。依りて之等に対して殲滅戦を断行すべし。 

  かれらに説得を試みたが態度を変へないので、殲滅戦を断行すると強調する。福田は神道、石原らは日蓮主義者だが、福田は猶太思想を理由にしてゐる。福田の攻撃は他にも向けられた。続く。

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福田素剣「戦(いくさ)は生草(いくさ)」

 

 『皇道日報』の戦中のものは題字下に毎月1、5、11、21、25日の発行とある。月5回だ。購読料は前金で1年12円。「皇道を宣揚して國體を明徴し、現時の思想戦を担当す」と謳ふ。4ページ建てのときは1面が全面福田素顕の論文。文末に素剣とあり、これが当時の筆名らしい。2面はほかの人の文章や連載、3面は中央や地方の動向、4面は書籍広告など。2ページ建てで紙一枚だけのときもある。

 昭和19年2月12日付の1面論文は「皇戦『いくさ』の意義」。上部の日付と題字下の発行日はいつも異なる。

 福田は戦争の意義について、日本神話に即して論じる。現在の天地は暗気(くらけ)なす不安定な状態。天之瓊矛の発動により世界の罪穢曲事を禊ぎ祓ふのだといふ。一般国民はこれを戦争といってゐるが、それは正しくない。いくさ、といふべきだ。

 

我が国の行ふ戦争は、戦争には非らずして、本質的なる文化運動と謂ふべし。

 

世界人類を言向和し、以て、永久平和を確立するにあり。 

 

「いくさ」とは「生草(いくさ)」の義にして、民草を真に生かし給ふ神業也。まことに 天照らす神軍の向ふ所、億兆の民草悉く安生し、各、其処を得て大和の国となる。これを、大東亜共栄圏に徴せよ。

 

 

  老子孫子、クラウゼビッツ、ルーデンドルフが戦争理念について記してゐるが、それらと日本の「いくさ」は全く違ふ。いくさにより、世界万国もれなく大和の国に新生するのだと説く。

 この紙面では皇道宣揚・國體明徴の部分が表はれてゐるが、ほかの号では思想戦の部分が前面に出てゐる。それは当時のいはゆる国家主義者らを激しく攻撃するものだった。続く。

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新居格に答へて素盞之尊の教理を論じた男

 新居格の『区長日記』(学芸通信社、昭和30年4月)に、東京都杉並区長だった新居が氏神の祭礼に行くのを断った話がある。新居は22年4月に就任し、その秋のこと。タイトルは「民主主義とはどろんこの里芋を桶に入れてごりごりやること」。4ページほどの短いもの。荻窪のある地区の人たちが数人、区長室にやって来て、「区長、氏神の祭礼にやって来てくれないかね」と頼んだ。新居が「君たちの氏神のご神体は何だね」と聞くと、「すさのおの尊ですよ」といふ。

 

 「そうかね。こんな神話の神様のお祭りなんかよせばいいのに」

 すると、その中の一人が代弁して、

「でも宗教ですよ」

「そうか、宗教か、わたしは宗教としてすさのおの尊の教理教説を知らないのだが、一つ教えてくれんかね」

 と訊いた。意地の悪い質問であることは、わたしも知っての上のことだ。すると、彼はそれに答えす(或は答えられなかったのかもしれないが)話頭を転じて「これは信仰だ。信仰はあった方がないよりいい」と、向っ腹を立てたかのようにいった。                            

 

 

  彼らは対抗策として、10月1日の国勢調査に協力しないと怒って引き揚げた。新居は「民主主義とはどろんこの里芋を桶のなかに入れてひっ掻き廻しているようなものだよ。ああやって揉んでいるうちに分って来るから、せいぜい揉むに限る」と自信をみせてゐる。

 ご神体といふのをご祭神に置き換へればより正確だらうが、住民はご祭神をしっかりと把握してゐる。さらに、祭礼のことを宗教だと答へてゐる。年中行事だとか儀式だとかではなく宗教だといふのは珍しいことではないか。

 これと同じ出来事を記したものに、『民衆大学』(大衆法律文化社2巻7号、昭和22年12月発行)の新居格「民衆の味方か敵か」がある。『日記』と異なるところがある。こちらでは団体でなく男が一人で来たやうに書いてある。

 

「あなたに伺うが素盞之尊の教理はどんなことでしよう、そこに宗教原理があるとすれば」

 すると、彼はとに角、それを通じて絶対の神を見るのだ。基督を通じて神を見るのと同じだといつた。

 

 「ご神体」がすさのおの尊であることは同じだが、そのあとの応答が違ふ。『日記』では「彼はそれに答えず(或は答えられなかったのかもしれないが)話頭を転じて」「これは信仰だ。信仰はあった方がないよりいい」と言ってゐる。しかし『民衆大学』誌上では話題を転じてはゐない。「それ(=すさのおの尊?)を通じて絶対の神を見る」のだといふ。その点で、すさのおはキリストのやうなものだと意見してゐる。新居は「因襲的な祭礼」「旧態依然」と、時代遅れのもののやうにいひ、代はりに「民主的な人間思想に即する人間の祝祭」「無邪気な運動会でもすればいゝ」と論じてゐる。

 氏神のすさのおの尊を説明するのに「絶対の神を見る」とか、キリストを持ち出したりするといふのは、なかなかできることではない。神話に出てくる神様だとか、昔から祀ってゐるのだとかといふのが普通ではないか。

 新居は、老婆が地蔵を拝むのも迷信だと片付け、男の回答にも「教説がない」と決めつけてゐるが、この男の宗教論は因襲的な無考へのものではないことがうかがへる。少なくとも『日記』にあるやうな、ごりごりやられるどろんこの里芋には収まりきらないものがありさうだ。

 ただ留意することは、新居はこの問答の前後に、町内などの祭礼を取り上げた9月25日付の日経新聞の社説を読んでゐる。題は「ヤミ勢力を一掃せよ」。「世にいわゆる暴力団とか、顔役とか、地廻りなどとも呼ばれ(略)祭礼などを種に金銭や、物をゆすり…」と、祭礼に出没するヤミ勢力を非難したもの。新居は、国勢調査への非協調に対抗する闘志を燃やしてゐる。「わたしはそうした迷蒙にたいして抗争する意思がある」。