児玉誉士夫を乗せた馬

『野人の風景』(日本競馬協会㈱八千代産業発行、昭和59年2月)は監修が石渡庸左、編集発行落合義一、となってゐて、中を読むと総監修稲葉八州士とある。
 手作り感溢れる本で、ちょっとわかりにくいが、どうやら日本競馬協会理事長、八千代産業会長の稲葉八州士の交友録のやうだ。競馬関係、『大吼』関係、『国会タイムズ』関係と幅広い。有名人では飯干晃一、菊岡久利、戸川猪佐武なぞが出てくる。
 そのなかで注目はやはり児玉誉士夫の一文。昭和15年、中野正剛の馬を褒めたところ、プレゼントされた。

自分は貰った馬を一先ず、例の遊佐中佐の馬場において貰うことにしました。
そのうちに、馬を貰って馬に乗れないのも可笑しなものだと思い、神奈川県の或る乗馬倶楽部に入り、連日通って、猛練習を始めた訳です。その時、一緒に練習したのが、後に東京温泉を始めた許斐氏利さん等でした。この当時の訓練は、猛烈なもので、度々怪我もしましたが、しかし、この訓練が、その後、太平洋戦争中、自分が、上海に行き、上海の海軍陸戦隊と緊密な関係となり、色々な場面に遭遇する度に、どれ程役に立ったかわかりません。
この中野正剛先生から貰った馬も、その後、私が上海に行っている留守の間は、天野辰雄[夫]氏に預けられ、私は上海から帰って来る度に、遊佐中佐の馬場に会いに行ったものです。そして、この馬は、終戦後まで生存していました。

 この馬は何人の右翼を見てきたのか、さういふ人のところばかりを巡ってきた。
 許斐もやはり最初から乗馬がうまかったのではなく、日本で練習してうまくなったのだらう。
 天野は土佐犬を飼ってゐた筈だが、動物好きだったのだらうか。

都内の坂の上にて