四大厄難に遭った小山進

 『大教正小山進傳 附『歌集』』は足立幸太郎著、昭和14年1月発行。神道大教正、小山進の伝記と歌集。

 小山は天保7年、信濃国飯山町生まれ。明治41年10月没。忠太郎ともいった。幕末の志士として東奔西走、平田派国学者らと交はった。生涯に4つの厄難に見舞はれたと述懐してゐる。薩摩藩士や相楽総三、落合直亮、権田直助らと共に活動してゐたところ、庄内藩の幕軍に襲撃される。これが一つ目。蒸気船に乗り逃れた。二つ目は赤報隊事件で、同志の相楽らが偽勅使とされ処刑された。三つ目は樺太でロシア兵に捕らへられたこと。外務省の属官としてロシアの横暴を非難したところ、捕縛された。四つ目は広沢真臣参議暗殺の嫌疑をかけられたこと。

 暗殺の嫌疑や薩長閥の跋扈で嫌気がさし官を辞し、一転神職となる。明治6年壱岐国住吉神社に赴任。のち長野県の松本神道分局長。皇典講究所にも勤める。

 源義経を詠んだ和歌に

道の奥に枯ぬと思ひししのふ草蝦夷か島根に萌出にけり

 がある。義経陸奥で死なずに北海道に渡ったといふ伝説を基にしてゐる。

 長崎時代、獄舎にゐた丸山作楽に面会し、「説教を名として獄に至り親しく其志を慰め…」と記されてゐる。すでに明治初期に神道家による教誨があったのだらうか。