松岡譲「ただ涙が出る」

 


 『問題の創作 法城を護る人々に就て』は本文31ページの小冊子。奧付などなしで、長谷川巳之吉が「大震災にもめげず…」と書いてゐるので関東大震災後の発行。

 表紙に長谷川巳之吉「信條の實現」とあるのは、本文では「信條の實現 鷲尾順敬著『大日本宗教文化史』近刊に就て」。第一書房の松岡譲『法城を護る人々』が発売後2か月で二十余版と「読書界未曾有の歓迎」を受けたので、次は鷲尾の著書を発行するといふ予告。

 

真正なる日本史学の建立をなすべき使命を持つた史家は、如何なる人であらねばならないでありませうか。私は私達の翹望する丁度その典型として直下に我が鷲尾先生を拉し来つて、先生こそ其人であると叫びたいのであります。

 

  史料編纂官としての経歴に触れ、鷲尾を高く評価。「民族必読の宝典を作られる」と期待してゐる。

 松岡の「法城を護る人々に就て」は、自著の創作秘話。末尾に大正12年8月とある。創作の進め方や苦労、モデル問題について自ら語ってゐる。どれも面白い。松岡は元来、自作について語ることを「一つの禁物」としてきた。しかし今回は量が膨大で問題も複雑であるから禁を破るのだといふ。

 書けなくなると、「無暗と手を洗ふ。便所へ行く。懐中鏡に顔を写す。煙草を吸ふ。さうして室の中をせかせかとさも用事のある人のやうな足つきで歩き廻はる」。ところが急に筆が乗ることがある。「その時の愉快は又格別だ」「本当に生き甲斐がある気持ちなんだから」。

 それに懸命に書いてゐると「かなり人間嫌ひになる」。

皆と一緒に食事するなんぞといふことは、実際堪らなく不快でもあり情けなくもあるのだ。孤独――といつても、まあ体裁のいゝ気狂ひで、自分から神妙に一室に身を禁錮してゐるのが取り得位の所かも知れない。

  構想を終へて執筆の矢先、実家が火事になったり長谷川が入院したり自身が病気になったりと苦労する。

力つきて夜半床の中にのめり込む時には、自分は嘔き気をさへ催して、全く文字どほり死んだようになる。夢を見る。うなされる朝は早く目がさめる。足がいたい。腰がきしむ。鼻血が出る。なにくそとばかりに又頑張る。 

  悲壮な執筆を終え、ほっとして泣いた。

泣いても泣いても泣き切れない。嬉しいのでもない。悲しいのでもない。ただ涙が出る。鳴き声が出る。洟がむづむづ出る。 

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御朱印ならぬ御書印始まる。首尾如何。