天野辰夫らと民衆法律相談所を開いた吉田能安

 『射道の人 吉田能安』は寺田隆尚著、平成11年6月、文藝書房。弓道家の吉田能安の伝記。目次もなく、120ページほどの分量でコンパクトにまとめられてゐる。

 吉田は明治24年岡山県高梁市生まれ、昭和60年11月没。昭和16年には日光東照宮前武道大会で、兜を射抜く前代未聞の快挙を成し遂げる。戦後は町野武馬を会長に迎へ大日本武徳会を再興してゐる。鋸山の日本寺に弓道場を開設し、大仏開眼大法要でも奉射した。「弓は立禅なり」を主張し、精神性や宗教性を大切にした。吉田が考案した「いろは訓」に「意のままに ならぬが弓だ 世の中だ」、和歌に「弓ひとつ高くかかげて人の道神ともにあり日の本の吾」がある。

 弓道家として大成する前の経歴にも興味深いものがある。満州に渡り大金を得たり、床次竹二郎の秘書になったりする。機械器具の輸入業を行う会社を弟と設立。東京出張時に天野辰夫と知り合ひ、政治活動に熱中、とあるが、活動内容は書かれてゐない。

 天野らと5人で始めたのが民衆法律相談所。天野不在時にそこが襲撃され、吉田が応戦した。

革命的な過激派から権力側の欺瞞としてしか受け取られず、相談所は開設して間もなく、日本刀を持った過激派の一団に襲われた。(略)

「お前ら、うまいこと言っても、ブルジョアの手先じゃないか。民衆の敵だ」

「民衆を間違った方に煽動しているのは、君らじゃないか。だいたい暴力で要求を通そうなんて、まともな人間のすることじゃないぞ」

  その後、天野の危険性を感じて別れたのちに神兵隊事件が起こり、吉田も逮捕される。しかし天野に批判的だったことなどから、無罪が証明されたのだといふ。

 

・『路上からできる生活保護申請ガイド』読む。ホームレス総合ネットワーク発行、大学図書発売。手元のものは2012年度版。定価やバーコードもついてゐるが、路上生活者や刑務所の中にゐる人など、必要とする人には無償配布してゐる。3年間で1万5000冊配布とある。

 約160ページで厚みもあり、無償配布にはみえない。「マンガでわかる○×」をうたひながら活字ばかりだったり読みにくかったりする本もあるが、この本はそんなうたひ文句がないのにマンガでよくわかる。

 あるとさん(本名・我家有人)がこぐまさんの助けを借りながら、路上生活を脱出してアパートで生活できるやうになるまでを描く。役所の人間が宇宙人だったりケースワーカーがロボットだったり悪質不動産屋が悪魔だったりして面白い。今日はハロウィーン