前頭の夏目漱石と大関の野依秀一

『健康之研究』は健康之研究社発行、大正4年8月号が1巻3号。約30ページの冊子。編集兼発行人が長谷川清で、巻頭の文章「人参は『ラヂウム』以上の霊剤なり」の執筆者が本誌主幹、長谷川泰洲。ニンジンが万病に効くといふもので、ニンジンエキスの広告もある。ほかに梅干しの効用を説いたもの、海水浴のすすめ、山下紅療法の実験談、裸体健康法など、民間療法の情報を扱ってゐる。

 その中に「当代精力家番付表」が載ってゐる。東西のうち、西が政治家と実業家、東が文化人の分け方に見える。東の横綱森林太郎森鷗外、次の大関が野依秀一。関脇が大谷光瑞。前頭の中に物集高見徳富蘇峰夏目漱石らがゐる。漱石は病弱なイメージだが、多作とか執筆意欲旺盛とかといふ基準なのだらうか。物集も『広文庫』編纂の評価だらう。

 野依が西方の実業家ではなく文化人枠。たくさん文章を書いてゐるのを指して精力家といってゐるやうだ。

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 ・この前の番組、日本新聞そのものの位置が他と比べてどうだったかといふのがいまいちわかりにくかった。戦前最大の右派メディアといふのも少なくとも発行部数のことではあるまい。その点、例へば山崎元『発掘・昭和史のはざまで』(新日本出版社、平成3年7月)では日本新聞の特異性が紹介される。新聞を一斉に発禁にしたときのこと。

 

夜中の三時か四時ごろ局長から電話がかかってきまして、『君、〝日本新聞〟だけを発売禁止をまけてやるわけにはいかんか』と言うのです。『それはいけません。〝日本新聞〟だけまけるというわけにいきません――』あとで聞いたら、〝日本新聞〟の彼は顧問なのです。あれは右翼の新聞ですからね。

 

 局長といふのは山岡万之助。山岡から、日本新聞だけは特別扱ひをして、発売禁止にしないことはできないかと打診してゐる。かういふのを盛り込めば日本新聞の性格がわかりやすかったのではないかと思った。