『神ながらの道』しか読んだことがない小原さん

 佐藤勝治『宮澤賢治批判 賢治愛好者への参考意見』は十字屋書店発行、昭和27年12月発行。発行元は現在は神保町の新刊書店。

 佐藤はもと宮澤賢治の研究者で法華経の信仰者だった。しかしこの書は一転して、賢治への批判をぶつけてゐる。その論点は、賢治はただ祈るだけで、社会改革に乗り出さなかったこと、裕福なものとしての立場であったことなど。

 

雨ニモマケズ」はまるで寝言です。あらゆることをよく見ききしわかるのも、賢治のように、本でもレコードでも好きほうだいに買える身分でいえることです。

 そのためマッカーサーの改革を評価した。

 

 マックアーサーは、まさしく日蓮の言つた「隣国の聖人」であつた。次々と出される日本改革の諸指令に、私は歓呼の声を上げ、総司令部に感謝した。

 

 まえがきは終戦の日前後の回顧。高村光太郎のために家を建ててやったりしてゐる。その後に、ふしぎな人との出会ひを書き残してゐる。

小原某という三十位の人と、ある晩偶然にも校庭の草原で語り合つたが、その人は自称「神ながらの道」を信仰する人で、本は生れてからただ一冊しか読んだことは無い、その一冊の本というのが、八百何十頁もある「神ながらの道」≪筧克彦≫で、彼はそれを何年間かくりかえしくりかえし読んでいるといつた。 

  生まれてから読んだ本はただ一冊。それも筧克彦の『神ながらの道』だけだといふ。学生や学歴のある人だったらそんな生活はまづできないから、まったく市井の、学問にも縁遠い人だったと思はれる。なぜ小原は『神ながらの道』を何度も読んだのか。

その本から得た信念によるに、今の戦争は不義の戦争であり、神の罰によつて日本は必ず敗けると思っていた。敗けたあとでよくなるのだ、だから敗けたのは神のおこころであり、これからよくなるのだから自分はうれしい、と彼は語った。 

  戦時中、電気も来ないやうな田舎で『神ながらの道』を読んで過ごした。聖戦への使命感とか戦意高揚を読み取ったのではなく、不義の戦争とその結果の神罰を読み取った。筧の神がかりの言動には批判や揶揄が多く、このやうに読まれてゐたことは知られない。

 佐藤は終戦の日以来、「ぞくぞくと身が震える程のこのよろこびを、私はどうすることもできなかつた」とよろこんだ。小原も不義の戦争が終はり、神意が示されたことにうれしさを感じた。