蘇峰宗の洗礼を受けた広瀬喜太郎

『暁堂感銘録』は広瀬喜太郎の回顧録・随筆集。昭和43年11月、限定700部発行。巻末の人名索引も含め全384ページで、手に持つとずしりと重い。

 広瀬は富山・高岡の出身。教師の書いたものは堅苦しいものが多いが、この書は人間味があふれて読者を飽きさせない。特に広瀬の異常なまでの本好き、読書好きが目を引く。

 話に上るのは徳富蘇峰、実業之日本の増田義一新渡戸稲造ら。特に蘇峰については熱狂的に崇拝し、蘇峰を中心に生きたやうな感を受ける。初めて学校で蘇峰の演説を聞いたときのことを、情熱をもって描く。

 

ああこの人があの文章の作者である。わがあこがれたるあの文章の主人公は、正にこの人である。况んやその演説はいよいよ情熱を孕んで、異常の興奮を喚んだばかりか、非常の感動を喚起した。わたくしはただ恍惚として何ということなく、いつということなく、いつの間にやらいわゆる蘇峰宗の洗礼でも受けたような心地であった。

 明治43年の上京時には毎週民友社に足を運んだ。

日吉町の民友社小売部に行き、先生の著書(主として国民叢書、みんな取揃えただけでない、静思余録・天然と人・文学漫筆など、同じ書物をいく冊買うたやら)を購うた。何故にこんなに通うたか、かく通う中にせめて一度でもいい、先生のお顔はとにかく、お姿を(ちらりとでもいい)見ることも出来まいものか。 

 

 大正七年わたくし二六才の時、近世日本国民史の国民新聞紙上に連載せらるるや、わたくしは先づ以ってその文章に魅了された。(略)新聞で読み、切抜帖で読み、書物で読む。その書物も上製で読み、並製で読み、普及版で読むという始末。(略)先生の一書わが架上に加わる毎に、胸中一楽生ずる思いであった。

 

同じ内容のものを新聞で読んで、本でも読む。本も違う製本のものが出たら出るたびに求める。買ふだけでなく全部そのたびに読む。

 父母との思ひ出も本にまつはるもの。

 

父は書物とか雑誌に対しては終生小言などいわなかったが、唯一度だけこんなことがあった。「冒険世界」を読んでいた時のこと、この巻頭にはそのころ押川春浪怪奇小説「怪人鉄塔」があった。(略)少年の熱血をたぎらしたものである。それがいよいよ完結して書物になった時、わたくしはそれを求めようと父に頼んだかせがんだかしたが、父はこの時だけはおいそれと応じてはくれなかった。そしていうことは、すでに雑誌で全部読んでしまっている、ああいう小説を更らに書物で読み返へさなくてもいいと。前にも後にもこんなことはこの一度だけであったが、そういうところまことに一理ありといわねばならぬ。

 

 

 この時は結局母からお金をもらって本を買った。教科書代を川上眉山の全集に使ってしまって教科書は筆写するなど、親不孝を重ねてゐる。異常な心理なのだらうけれど幸せでもあっただらう。高岡図書館のことなどもある。続く。