ライオンを抱いた角岡知良夫人

 『童話研究』(日本童話協会)の昭和7年10月号・11巻10号を開くと、2匹のライオンを抱いた和装女性の写真が目に入る。下に「上野動物園にて―角岡良知氏夫人」とあり、エチオピアと深く関はり右翼関係との交友もあった弁護士、ツラン主義者の角岡知良の夫人だ。たまに知良と良知が間違はれる。
 中を読むと「獅子の赤ン坊」といふ無署名記事で短く触れられてゐる。ハイレ・セラシエ皇帝即位式参加の答礼として昭和6年11月に来日したのがブラテン・グエタ・ヘロイモ特派使節外相ら。近代日本に目を見張ったが、上野動物園の展示は別段珍しくなかった。ただ金魚が綺麗だと感歎したといふ。
 特使から昭和天皇にはソロモン大綬章、明治神宮には宝石をちりばめた楯が贈られた。1便遅れの船で2匹のライオンが届き、上野動物園で飼はれることになった。雄がアリーで雌がカテリナ。カテリナの方が気が荒いさう。

いまも勢力のあるところの諸国の大名が、各多くの兵士を引率してこの栄ある二頭の猛獅子の門出を見送りました。さうしていよいよ国境を離れるところまでその行列はつゞき、国境を離れてから後はエチオピヤの近衛兵が盛大な行列を作つてこれをまた見送りました。
 まことにお伽噺をでも聞くやうなほんたうのお話で、はるばると海を越えてわが帝室におくられた猛獅子のアリーとカテリナとの間に、このたび生れました可愛らしい子供が富士と桜と命名されたのであります。

 お伽話のやうな別れ方といふのが『童話研究』誌上に載せた理由の一つらしい。
 角岡夫人が抱いてゐるのは富士と桜で、一匹はおとなしくしてゐるが、もう一匹は動いてゐるので頭がピンぼけになってゐる。夫人の口は開いてゐるが笑顔とはいへない表情に見える。戦時中、この2匹は「かわいそうなぞう」のやうに処分されてしまふ。
 文中にはライオンと角岡との関係が出てこないが、動物園には何か残ってゐるだらう。