菅野力夫の講演を聞いた奥村喜和男

 『奥村君の手紙と日記』の奥村君とは、情報局次長も務めた奥村喜和男のこと。当時の学生の様子や勉強ぶりがわかる。
 日記は豊津中学校時代のもの。七月六日は首席をとった日。

(略)一番奥村喜和男とあり。嗚呼!不肖自分が学生の理想、首席を捷得たるなり。月桂冠を戴けるなり。
 然れども「勝つて兜の緒をしめよ」なり。奮励一番以つて首席を続けんとするなり。唯千万無量!

 翌日の日記は「朝から驕れ々々々々と責められる」と一行のみ。首席獲得記念で奢れと責められてゐる。
 奥村の父は新聞取次所を経営してゐた。奥村少年は早朝、駅から新聞を受け取り、各戸に配達する手伝ひもしてゐた。世界情勢は新聞から知識を得てゐた。ところが先生からの注意で、新聞を読むのをやめる。9月22日の日記。

(略)断然今後新聞を読むのを廃す。新聞とは尋常の四年から毎日あらゆる新聞をよみ続けて来たのだ。一時つらいことだ。併し男子一旦誓ひし上は……断然……廃す。一日勉強時間が二時間増加したわけだ。辻先生に感謝する次第だ。

 好きな新聞の時間を削ってまで、勉強の時間を増やした。
 9月22日に菅野力夫。

 本日第二時間目より世界探検家菅野力夫氏の演説あり。経験談あり旅行談あり非常に有益にしておもしろかつた。後で友人互に今日の講談には生徒7百名の内一人もアクビした人はあるまいとの事を語りあふ。以つて如何に興味ありしか察すべしだ。(略)

 さてこの本は初版が昭和10年1月、再版が14年3月。それぞれ巻頭に、簡易保険局の友人、小林政人による解説が載ってゐる。初版時の奥村は逓信省電務局無線課長、再版時は企画院書記官。国会図書館でデジタル化されたものは再版だが、手元には第三版。昭和18年6月22日付で、奥村は情報局次長に就任してやめた後。これにも小林政人による解説がある。小林はこの間、保険局から日本発送電に転職してゐる。
「第三版を発行す」によれば、はじめはなるべく多くの青少年に回覧するならばといふ条件付きで進呈した。のちには読んだら返してもらふほど足りなくなってきたので、第三版を増刷するといふ。
 かつて徳富蘇峰は奥村の本に序文を寄せて、彼が吉田松陰らの血脈を継ぐ現代の志士だと絶賛した。往年の青年はみな蘇峰の著書を読み傾倒した。今、奥村が講演や著書で青年を率いてゐる。

其の透徹したる論旨と、燃ゆるが如き熱情とに感激して、全国青年中奥村君を憧憬し思慕する者が非常に多いことは私の熟知する所である。

 蘇峰から絶賛され、青年の憧れの的となるほどだったといふ奥村の人気がうかがへる。